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2018年2 月 2日

NO.220-1(メインコラム)弱国無外交

今回のブログのテーマは「弱国無外交」です。

 

先日、手元にある新聞の切り抜きを眺めていて、2014年1月26日付の日経新聞のある記事に

目が留まりました。

その記事は「日曜に考える」シリーズで、その日のタイトルは「脱亜、尊敬から蔑視へ(明治)」、

古来より東アジアの大国である中国に対して尊敬と憧れを抱いてきた日本人が、アヘン戦争、

アロー号事件でイギリスやフランスの侵略になすすべのない中国の姿を目の当たりにして

中国に対する態度が変節していった様を紹介しています。

 

【記事より抜粋】

『文明開化の風潮が高まるなか、国家の指導者層や知識人には近代化に後れをとった中国に対して

「固陋(ころう):(古い慣習に固執する)国」という意識が広がり始める。

代表的なものが福沢諭吉の「脱亜論」だった。

福沢は清=中国は相携えて欧米に対抗する友邦に値しない「悪友」だと言い切った。』

 

『のちに「憲政の神様」といわれた尾崎行雄も「蓋(けだ)し支那は固陋(ころう)の国也、

旧物に泥(なず)んで移るを知らざる国也」と侮辱心を表している。

近代化のため極端な欧化主義をとったことによる西洋コンプレックスのはけ口は

「惰眠をむさぼる」中国に向けられ、優越、侮辱意識が醸成された。』

以上です。

 

これまで先生として崇められてきたものが侮辱させる立場となった中国から見れば、

この時の日本の変節は末代まで忘れることが無い屈辱であったことだろうか。

 

また中国の経済力にすり寄ろうとしている現在のイギリスやフランスの姿を中国は

どんな思いでみているのであろうか。

 

そんな事が私の頭をよぎりました。

 

ではここで今回の本題「弱国無外交」を皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 

「弱国無外交」とは字のとおり、「弱い国に外交なし」という意味です。

現代の各国は歴史の教訓から「弱国無外交」を学び、「強国」を目指そうとします。

 

現代の各国はどんな「強国」を目指そうとしているのか?

冒頭の記事をきっかけに私なりに考えてみました。少しお付き合いください。

 

■プライド高い中国は世界の覇権国を目指して

遮二無二 次の①②③ 全てを突き進んでいる。

①「突出した経済力」 

②「突出した軍事力」

③「突出した技術力」

 

■ロシアは自国の優位性をキープするために③に優先順位を置いているのかもしれない。

次の言葉を発したのはロシアのプーチンである。

「AI(人工知能)を支配するものが世界を制する」

 

■北朝鮮は「金王朝」維持のため、②の中で「核」と「ミサイル」に全資源を集中している。

 

■では日本は何をめざすのか?

私は「日本人がほどほど豊かな生活を維持していくため」という立場から

①「1人当たりGDPを維持できるレベルの経済力」

②「自国を自分で守れるレベルの戦力」

③「AIとゲノム医療の分野で突出した技術力」

と考えました。

 

■作家の塩野七生さんは「日本が国際政治で主役になるため」という立場から

著書「日本人へ リーダー篇」の中で次のように語っています。

 『ゲームの卓に坐るからにはプレーヤーたちはカードを持たねばならないが、

国際政治はトランプとちがって、カードではなく剣を両脇に差している。

カードは自分には見えても他者には見えないが、剣ならば誰にも見えるからである。

その剣だが、切れ味の良いほうからあげていくと、

①拒否権をもっていること。

②常任理事国であること。

③海外派兵も可能な軍事力。

④核をもっていること。

⑤他国に援助も可能な経済力。

このように、剣は五本すべてを差していないかぎり、国際政治の世界では主役にはなれない。

日本は経済力という剣しか差していない。

仮にイラク問題で国連が軟化し、それを格好の口実にしたフランスが態度を変えるとする。

となるとアメリカは、日本などそっちのけでフランスにすり寄るだろう。

アメリカにとっては、五本の剣を差しているフランスのほうが“使いで”があるのだから。

また、国際政治の世界では、中国のほうが日本より威力があるのも当然のことなのだ。』

 

さて皆さんは「どんな立場から」「日本が目指す方向」をどのように考えますか?

皆さんのお考えも教えて下さい。

2018年1 月 5日

NO.219-1(メインコラム)あれから40年

今回のテーマは「あれから40年」です。

「あれから40年」と聞くと「綾小路きみまろ」さんのあの中高年向けネタ

を思い浮かべる方が多いと思います。

例えば、

 ■遠い昔 私はあなたに言った 

「三歩 下がって ついていきます」

あれから40年

「早く歩きなさいよ もたもたして 先に行くからね!」

■遠い昔  私は あなたに言った

「私の瞳を見て あなたしか写ってないわ」

あれから40年

「なんで じろじろ見るのよ 気持ち悪い」

 

このネタが受ける理由として

コンテンツが秀逸なのは勿論のことですが、

60代、70代、80代の中高年の方々にとって

40年という経過年数もポイントのように思います。

 

30年前ではやや近い、

50年前では遠すぎる、

40年前は

60代にとって20代

70代にとって30代

80代にとって40代

長いようで短く感じられ「あのころの私」と「今の私」を対比し易い

ちょうど良い経過年数なのだと思います。

 

奥の深い計算された仕掛けに感服してしまいます。

 

私はこの「綾小路きみまろ」さんの「あれから40年」をヒントに、 

数年前から70代、80代の人生の先輩に対して、

もし今、あなたの目の前に40歳代の時のあなたがいたら、何をアドバイスしますか?

という質問をしてきました。

 

紙面の都合で全ての方のコメントを紹介出来ないのが残念ですが、

今回その一部を紹介させて頂きます。

 

ご自分でも、

「もし今、目の前に20代30代40代の時の自分がいたら、かつての自分に対して

今の自分は何をアドバイスするだろうか?」を

イメージしながらお読みいだだければ幸いです。

 

もし今、あなたの目の前に40歳代の時のあなたがいたら、何をアドバイスしますか?

■中野さん

(男性 当時76歳 元エンジニア→現在はコンサルタント)

「40歳代だから、まだ“おこがましい”などと思わず、

もっと自分の気持に素直になり、

自由に自分の意見をどんどん出して周りに貢献しろよ」

とアドバイスしてやりたい。

そして人生90歳と仮定して、自分にあと50年近くあると考えるとすると、

「自分の支援者・後継者を育てる努力をして欲しい。

その人達と一緒に生きていけない自分一人のための人生だとしたら、

この後の50年は惨めだぞ」と言ってやりたい。

 

もし今、あなたの目の前に40歳代の時のあなたがいたら、何をアドバイスしますか?

■馬場さん

(女性 当時83歳 元主婦→現在は介護施設経営者)

私は、無償の奉仕、ボランティアをして得るものが多かった。

それは今、ようやく分かる。

40代の時はぼんやりとしか分からなかった。

一番大切なことは、人のために役にたつこと。

人間は、何か人の役に立って喜ばれた時が一番しあわせなんだって。

 

もし今、あなたの目の前に40歳代の時のあなたがいたら、何をアドバイスしますか?

■田島さん

(女性 当時81歳 元看護婦→現在はボランティア活動に従事)

結局、子供の生活環境、子供の反抗、子供のノイローゼ、主人とのいさかい、等、

自分の心が全てその基をつくっている。

そのことに気が付かなくてはならない。

そして、人間「生きたようにしか死ねない」のだから、

その時その時、目の前に起きたことは精一杯頑張っていこうと。

人生の最後に人生を過ごしてきたことに値する生き方をしてきたと思いたいと。

でも恥ずかしいんだけど、この歳でできないんだぁ~、そんな生き方が(笑)。

 

もし今、あなたの目の前に40歳代の時のあなたがいたら、何をアドバイスしますか?

■末永さん

(女性 当時84歳 元首相秘書→現在は持病を抱えながらも元気人)

人生、ムリしたって、後になってみれば、たかだかしれている。自然体が一番よ。

私は妻としても母親としてももっと心に余裕を持って、自然体でやればよかった、

と思っているの。

あの時は、精一杯で気が付かなかったけど。

相手にストレスを感じさせたり無用な気遣いをさせてしまうのよね。

だから、出来るだけ自然体がいいのよ。

 

もし今、あなたの目の前に40歳代の時のあなたがいたら、何をアドバイスしますか?

■金井さん

(男性 当時77歳 元国鉄マン→3年前にご逝去されました)

健康。

人間、死んだら終わり。若いころは夢中で考えなかったけど、

何よりも一番に考えなくてはいけないのは、“いかに自分を守るか”ということ。

 

もし今、あなたの目の前に40歳代の時のあなたがいたら、何をアドバイスしますか?

■輪島さん

(男性 当時70歳 元ボクシング世界チャンピオン→現在はジム会長)

こうしたら、ああなって、ああなったら、こうなって、

なんて人生は所詮そんな図ったようにはいかないのだから。

そんな小賢しいこと、考える暇があったら、何だっていいから、

“今、これだ、っていうものに一生懸命、打ち込むことだよ”。

5年後、10年後に

「ああっ、こういうことだったんだ」

「あの時、頑張っておいてよかった」

って思うように必ずなるから。ホントだよ。

 

最後に25年前に亡くなった私の父親が倒れる3か月前に私に語ったこと

■片木さん (男性 当時70歳 元会社員)

あれは、40歳の時だった。勤めていた会社が傾き、丸紅飯田に

吸収合併されることが決定。

体のチカラが全部抜けてしまった。

そんな時、仲間から、

「独立して事業を興そう」という話が持ちかけられた。

三日三晩眠れぬほど悩んだある土曜日、会社の帰りに、

自宅近くの原っぱで、おまえが黄色い声を出して野球している姿を見た時、

会社に残る決心をした。

情けない話だが、70歳の今になっても、

「もし40歳の あの時、自分の気持に従っていたら、今、

どうなっていたんだろう」と思うことがある。

おまえ(息子)も、これから先、人生の岐路に立つ時が来ると思う。

その時、自分の気持ちの奥底をよくよく確認して、

その時の自分の気持ちに正直に行動してほしい。

これは父の願いでもある。

そのために必要なら、この家、潰したって構わないぞ。

一度しかない人生、勝負する価値はあると思う。

 

 

以上どうですか?

 

聞き役の私は、お聞きしながら、

「人生の先輩達は、今のご自身にも言い聞かせているのでは」

と思えることがあります。

 

さてアナタだったら、目の前の20代30代40代のご自分に、

どんなアドバイスをしますか?

 

2017年11 月30日

NO.218-1(メインコラム)「地方の危機を救う]

今回のテーマは「地方都市の危機を救う」です。

 

地方都市に行く機会の多い方は感じていらっしゃると思いますが

この10年程の間に県庁所在地も含め地方の都市はどんどん活力を失っています。

 

町一番の繁華街のアーケード街でさえシャッターが閉まっているお店が多いこと。

町の中心地でさえ暗くなるとライトを点灯したクルマは行きかうものの人通りがないこと。

 

こうした現状について当地にお住いの方々に「どう感じられますか?」とお聞きすると、

「これも時代と言うかしかたがない」

「東京みたいに人が多すぎるところは嫌いなので余り気にしていない」

「郊外に新しく大型店舗ができたので不便は感じていない」

など

たまに訪れる私のようなよそ者の感覚と

そこに住み続けている方々の感覚との違いなのか

当地の方々からは「活気が失われている」という危機意識が伝わってきません。

 

そこで今回自分の頭を整理する意味もあり、

私が最近訪れた都市の活気度を外者の肌感覚ですが(異論を承知のうえで)

Aグループ(活気上向き)】、【Bグループ(活気下向き)】、【Cグループ(SOS)】

の3グループに分類してみました。

 

Aグループ(活気上向き)】

東京23区、名古屋市(愛知)、京都市(京都)、広島市(広島)、福岡市(福岡)、

 

Bグループ(活気下向き)】

仙台市(宮城)、新潟市(新潟)、長岡市(新潟)、宇都宮市(栃木)、富山市(富山)、

金沢市(石川)、福井市(福井)、甲府市(山梨)、三島市(静岡)、静岡市(静岡)、

岐阜市(岐阜)、大垣市(岐阜)、大阪市(大阪)、堺市(大阪)、明石市(兵庫)、

高知市(高知)北九州市の小倉区(福岡)、久留米市(福岡)、熊本市(熊本)、

鹿児島市(鹿児島)、長崎市(長崎)

 

Cグループ(SOS)】

青森市(青森)、盛岡市(岩手)、秋田市(秋田)、村上市(新潟)、燕市(新潟)、

三条市(新潟)、十日町市(新潟)、六日町市(新潟)、糸魚川市(新潟)、茅野市(長野)、

銚子市(千葉)、小松市(石川)、富士宮市(静岡)、豊橋市(愛知)、一宮市(愛知)、

桑名市(三重)、大津市(滋賀)、神戸市(兵庫)、山口市(山口)、下関市(山口)、

北九州の若松区(福岡)

 

以上です。

 

では「地方が活気を取り戻す」にはどうしたら良いのか?

 

地方の危機を救うべく2008年から始まった「ふるさと納税」は

①いつの間にか「豪華な特産品」をゲットするための制度となり、

 豪華返礼品代、送料、職員人件費、広告費が膨らみ赤字の自治体が出ている。

②自治体と企業との癒着が指摘されている。

 

など 現在さまざまな問題を抱えていると聞きます。

 

どうも私たちはお役人や政治家が考えだす制度に対して目を光らせないと

ダメなようです。

 

では他に私たちが出来ることはあるのでしょうか?

 

私が考えるに、

先ほどの分類(私の肌感覚ですが)で、

生まれ故郷が【Cグループ(SOS)】の方で、

現在【Aグループ(活気上向き)】又は【Bグループ(活気下向き)】に住んでいる人全員が、

贈答品や日常品(食材など)を日々意識して【Cグループ(SOS)】の生産者から購入し続けることで、

地盤沈下を多少でも食い止めることが出来るのではないかと考えます。

 

贈答品であれば、贈られた人が「良いね」と感じてくれたら贈答の輪が更に拡がります。

日常品であれば1回の金額は少なくても「塵も積もれば山」となります。

 

誰もが今日から始められることだと思いますがいかがでしょうか?

 

100年後、日本の景色はどうなっているのか?

学生時代、アメリカのガソリンスタンドでスタッフが言ったコメントを思い出します。

「次の町までクルマで1時間掛かります。その間お店もガソリンスタンドもありません。」

 

                                                以 上

2017年10 月 1日

NO.217-1(メインコラム)青雲の志

今回のテーマは「青雲の志」です。

14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まったルネッサンスは、大富豪のメディチ家が、

彫刻家から科学者、詩人、哲学者、画家、建築家まで「青雲の志」を持った異分野の多彩な人材を

フィレンツェに呼び集めたことで化学融合が起こり開花したと言われています。

著述家のフランス・ヨハンソンはこの爆発的な開花現象のことを「メディチ・エフェクト

と名づけました。

 

さて現代の日本では先日、文部科学省が東京の一極集中を緩和するために、東京23区内の

私立大学・短大の定員を抑制する旨を告示しました。具体的には、2018年度は定員増を、

2019年度は大学・短大の新設を原則として認めないとの内容です。

 

明治以降日本は、「東京の活力」が「地方の活力」を生み、それがまた東京に跳ね返って

「東京の活力」が再生産されるというプラスの循環を重ね発展してきました。

そしてそのプラスの循環を生み出だす装置の役割を果たしてきたのが「青雲の志」を持った全国の青年を

集めてきた東京の大学です。

まさに「大学・エフェクト」です。

 

日本全国から「青雲の志」を抱いて上京した青年達は、互いに結びつき刺激し合い

卒業後は、

①東京で立身出世して故郷へ錦を飾ることを夢見る者がいて、

②東京で得た知識と経験と人脈を故郷で活かして活躍することを夢見る者がいて、

この2つのバランスが取れてプラスの循環が働いていたのです。

 

ところが近年、「地方出身の大学生の過半数はUターンを希望しているものの、

故郷に仕事の受け皿がなく、結局その過半数はUターン出来ない」という問題が

起こっています。

そのため東京と地方との間のプラスの循環バランスは崩れつつあります。

 

江戸時代に「入り鉄砲に出女」という言葉がありましたが今回、

東京にいる中央官僚はその解決策として「入り青年」を規制することにしました。

 

他の解決策は無いのでしょうか? 考えてみましょう。

 

①案:規制して「入り青年」の数を規制する(←今回の案)。

②案:地方交付金、助成金をバラまいて「出青年」の数を増やす。

③案:神の見えざる手に任せる。

 最後に官僚が一番嫌がる案

④案:中央官庁が地方に出る→官庁寄生型企業が地方に出る→地方に受け皿が出来る。

  

東京にいる中央官僚が考えた出した策は①案でした。

私は④案を支持します。

青年達の「青雲の志」を人為的に制限する策にはどうしても同意できません。

皆さんはどう考えますか?

 

さて夏目漱石の小説に、「青雲の志」を抱いた主人公の三四郎が大学入学のため

熊本から東京に上京することで物語がスタートする「三四郎」という作品があります。

故郷の熊本から東京に向かう車中で同席した男性と三四郎との会話を

最後にご紹介します。

主人公 三四郎のちょっと斜に構えた「青雲の志」が伝わってきます。

 

『「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。

すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。

―― 熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。

三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。

だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄(ぐろう)するのではなかろうかとも考えた。

男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉(ことば)つきはどこまでもおちついている。

どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。

すると男が、こう言った。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、

三四郎の顔を見ると耳を傾けている。

「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。

「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」 

この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。

同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った。  

その晩三四郎は東京に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。

三四郎は東京へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。

 

以 上

2017年8 月17日

NO.216-1(メインコラム)私とお酒

今回のテーマは「私とお酒」です。

最近 お酒を飲む時、これまでと異なる感覚が湧き上がることに気付き、

今回 このテーマを取り上げることにしました。

その湧き上がる感覚とは、

「沁みる」とか「しみじみ」とか、笑われるかもしれませんが「感謝」とか。

日本酒がなみなみと注がれたコップに口をつけ、一口目をすすり 舌で味わった後、

喉越しを通過して五臓六腑にまで染み渡った瞬間、目の前で飲んでいる友人の顔が見えて、

そんな感覚が湧き上がってきます(苦笑)。

 

「それでも僕は夢を見る」(水野敬也&鉄拳 著)という本の最後「あなたへの手紙」と題した文章の中に、

友人と酒を飲む箇所があって、その箇所を読んだ時「自分の深層にこんな意識があるのかもしれない」

と思いました。少し長くて恐縮ですが以下に紹介させていただきます。

 

『はじめまして、あなたへ

私は、あなたのことを知りません。そして、あなたも、私のことを知りません。

そんな私からあなたへ、手紙を書くのはおかしなことかもしれません。

でも、ほんの少しでも  時間がもらえるなら、私のわがままに付き合ってください。

私は、今、病院のベッドの上で寝ています。重い病気にかかっています。

たぶん、あなたがこの手紙を読むころには、もうこの世に存在しないでしょう。

だから、生きている  うちに、どうしても あなたに伝えたいことがあるのです。

私は、人生の中で あなたに自慢できるようなことは何もできませんでした。

若いころ、憧れていた職業がありました。でも、その仕事に就くことはできませんでした。

好きになった女性がいました。でも、その女性には振り向いてもらえませんでした。

私が座りたいと思った席には、いつも他の誰かが座っていました。

もし、私の人生を映画にしてあなたに見せたら「なんてつまらない映画だ」 きっと、そう思うでしょう。

私も、そう思います。

でも、今、そのつまらない映画がやっと終わろうとしているのに、

つまらない人生が終わろうとしているのに、

私は、こんな手紙を、誰に届くのかも分からない、もしかしたら誰にも届かない手紙を書いてしまっている。

どうしてこんなことをしているのか、あなたには分かりますか?

私は、怖いのです。死ぬのが、怖いのです。

「これ以上生きたところで 一体何の意味がある? 待っているのはつまらない人生だけだ」 

ベッドの上で、何度自分にそう言い聞かせたかわかりません。

でも恐怖は消えませんでした。

私は、死にたくありません。私は、生きたいのです。生きて、

もう一度好きな物が食べたい。高価なものじゃなくていい。近所のスーパーで材料を買って

作れるものでいい。

友人と酒を飲みたい。酒を飲みながら笑いたい。「つまらない人生だな」と言いながら笑い合いたい。

人を好きになりたい。振り向いてもらえなくたっていい。傷つくだけで終わってもいい。

その人のことを考えるだけで幸せになれるあの時間を、もう一度味わいたい。

夢を見たい。かなわなくてもいい。恥ずかしい思いをするだけでもいい。       

それでも、もう一度、夢を見たい。

つまらない人生を、送ってきました。でも、つまらない人生を送ってきたからこそ、分かることがあります。

それは、そのつまらない人生に、最後の最後までしがみつきたくなるくらい、生きることは素晴らしかった。

私は、これまでずっと、夢をかなえることができたら、自分の人生が輝くと思っていました。

そして、夢をかなえていない私の人生は、何の輝きもない、つまらない人生だと思っていました。

でも、それは間違っていました。生きることが、輝きでした。生きること、そのものが、輝きでした。

あなたは、今、生きている。そのことが、私にはとてもまぶしいのです。』

 

以上です。

 

お酒を、友との触れ合いを、「沁みる」「しみじみ」「感謝」と味わいたいと思う年頃に

なったのかもしれませんが・・・・。

 

さて次に お酒を、友との触れ合いを、より深く味わうための酒場の環境について、

私自身改めて考えてみると、

私の好きな酒場の環境は、次の3つのK「3K」があるお店だという結論になりました。

 

カウンターのK

①カウンター席があり、カウンター席から調理の様子が見える。

 

コスパのK

 ②大将の拘(こだわ)りの日本酒が置いてあって、その拘りの酒を

  1合(「こぼし」なら最高だが)700円以下で振る舞ってくれる。

 ③料理やツマミはコスパが高く、地の食材、旬の食材を出してくれる。

 

気さくのK

 ④店の大将、女将、店員さんが気さくで明るくて話しかけ易い。

 ⑤店のお客さんも気さくで明るくて、この地域のこと、お店お勧めメニューのことなど質問すると

  「喜んで」と言うノリで教えてくれる。 

 

 

しかし、

この「3K」の①~⑤が全て揃ったお店って、案外無いんです(個人の感想です)。

などと言いながら東京に居る時は下記のお店で「酒場放浪記」しています。

 

「3K」の①~⑤の内、私にとって3つのKがあるお店。

【地元JR「西荻窪駅」編】

・「豪」・・・雑誌で知って行くように。

・「扇子」・・・キッカケはふらっと入って。

・「戎北口店」・・・キッカケはふらっと入って。

・「和田屋」・・・キッカケは地元の友人に紹介されて。

・「ささら亭」・・・キッカケは輪島ジム仲間の作家「角田光代さん」に紹介されて。

 

「3K」の①~⑤の内、私にとって4つのKがあるお店。

【西武新宿線「田無駅」編】

・「一国」・・・キッカケはふらっと入って。

 

【西武新宿線「都立家政駅」編】

・「竹よし」・・・キッカケは学生時代の友人に連れられて。

 

 

最後に お願いを1つ。

アナタが好きなお店を 教えて頂ければ 嬉しいです。

ご一緒できれば 更に嬉しいですが。

 

ではまた。