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2017年8 月17日

NO.216-1(メインコラム)私とお酒

今回のテーマは「私とお酒」です。

最近 お酒を飲む時、これまでと異なる感覚が湧き上がることに気付き、

今回 このテーマを取り上げることにしました。

その湧き上がる感覚とは、

「沁みる」とか「しみじみ」とか、笑われるかもしれませんが「感謝」とか。

日本酒がなみなみと注がれたコップに口をつけ、一口目をすすり 舌で味わった後、

喉越しを通過して五臓六腑にまで染み渡った瞬間、目の前で飲んでいる友人の顔が見えて、

そんな感覚が湧き上がってきます(苦笑)。

 

「それでも僕は夢を見る」(水野敬也&鉄拳 著)という本の最後「あなたへの手紙」と題した文章の中に、

友人と酒を飲む箇所があって、その箇所を読んだ時「自分の深層にこんな意識があるのかもしれない」

と思いました。少し長くて恐縮ですが以下に紹介させていただきます。

 

『はじめまして、あなたへ

私は、あなたのことを知りません。そして、あなたも、私のことを知りません。

そんな私からあなたへ、手紙を書くのはおかしなことかもしれません。

でも、ほんの少しでも  時間がもらえるなら、私のわがままに付き合ってください。

私は、今、病院のベッドの上で寝ています。重い病気にかかっています。

たぶん、あなたがこの手紙を読むころには、もうこの世に存在しないでしょう。

だから、生きている  うちに、どうしても あなたに伝えたいことがあるのです。

私は、人生の中で あなたに自慢できるようなことは何もできませんでした。

若いころ、憧れていた職業がありました。でも、その仕事に就くことはできませんでした。

好きになった女性がいました。でも、その女性には振り向いてもらえませんでした。

私が座りたいと思った席には、いつも他の誰かが座っていました。

もし、私の人生を映画にしてあなたに見せたら「なんてつまらない映画だ」 きっと、そう思うでしょう。

私も、そう思います。

でも、今、そのつまらない映画がやっと終わろうとしているのに、

つまらない人生が終わろうとしているのに、

私は、こんな手紙を、誰に届くのかも分からない、もしかしたら誰にも届かない手紙を書いてしまっている。

どうしてこんなことをしているのか、あなたには分かりますか?

私は、怖いのです。死ぬのが、怖いのです。

「これ以上生きたところで 一体何の意味がある? 待っているのはつまらない人生だけだ」 

ベッドの上で、何度自分にそう言い聞かせたかわかりません。

でも恐怖は消えませんでした。

私は、死にたくありません。私は、生きたいのです。生きて、

もう一度好きな物が食べたい。高価なものじゃなくていい。近所のスーパーで材料を買って

作れるものでいい。

友人と酒を飲みたい。酒を飲みながら笑いたい。「つまらない人生だな」と言いながら笑い合いたい。

人を好きになりたい。振り向いてもらえなくたっていい。傷つくだけで終わってもいい。

その人のことを考えるだけで幸せになれるあの時間を、もう一度味わいたい。

夢を見たい。かなわなくてもいい。恥ずかしい思いをするだけでもいい。       

それでも、もう一度、夢を見たい。

つまらない人生を、送ってきました。でも、つまらない人生を送ってきたからこそ、分かることがあります。

それは、そのつまらない人生に、最後の最後までしがみつきたくなるくらい、生きることは素晴らしかった。

私は、これまでずっと、夢をかなえることができたら、自分の人生が輝くと思っていました。

そして、夢をかなえていない私の人生は、何の輝きもない、つまらない人生だと思っていました。

でも、それは間違っていました。生きることが、輝きでした。生きること、そのものが、輝きでした。

あなたは、今、生きている。そのことが、私にはとてもまぶしいのです。』

 

以上です。

 

お酒を、友との触れ合いを、「沁みる」「しみじみ」「感謝」と味わいたいと思う年頃に

なったのかもしれませんが・・・・。

 

さて次に お酒を、友との触れ合いを、より深く味わうための酒場の環境について、

私自身改めて考えてみると、

私の好きな酒場の環境は、次の3つのK「3K」があるお店だという結論になりました。

 

カウンターのK

①カウンター席があり、カウンター席から調理の様子が見える。

 

コスパのK

 ②大将の拘(こだわ)りの日本酒が置いてあって、その拘りの酒を

  1合(「こぼし」なら最高だが)700円以下で振る舞ってくれる。

 ③料理やツマミはコスパが高く、地の食材、旬の食材を出してくれる。

 

気さくのK

 ④店の大将、女将、店員さんが気さくで明るくて話しかけ易い。

 ⑤店のお客さんも気さくで明るくて、この地域のこと、お店お勧めメニューのことなど質問すると

  「喜んで」と言うノリで教えてくれる。 

 

 

しかし、

この「3K」の①~⑤が全て揃ったお店って、案外無いんです(個人の感想です)。

などと言いながら東京に居る時は下記のお店で「酒場放浪記」しています。

 

「3K」の①~⑤の内、私にとって3つのKがあるお店。

【地元JR「西荻窪駅」編】

・「豪」・・・雑誌で知って行くように。

・「扇子」・・・キッカケはふらっと入って。

・「戎北口店」・・・キッカケはふらっと入って。

・「和田屋」・・・キッカケは地元の友人に紹介されて。

・「ささら亭」・・・キッカケは輪島ジム仲間の作家「角田光代さん」に紹介されて。

 

「3K」の①~⑤の内、私にとって4つのKがあるお店。

【西武新宿線「田無駅」編】

・「一国」・・・キッカケはふらっと入って。

 

【西武新宿線「都立家政駅」編】

・「竹よし」・・・キッカケは学生時代の友人に連れられて。

 

 

最後に お願いを1つ。

アナタが好きなお店を 教えて頂ければ 嬉しいです。

ご一緒できれば 更に嬉しいですが。

 

ではまた。

2015年9 月 6日

NO.202-1(メインコラム)それでも人生にイエスと言う

今回のテーマは「それでも人生にイエスと言う」です。

皆さんご存じの、 精神医学者フランクルの名著のタイトルです。

ドイツ語の原文のタイトルは「rotzdem Ja zum Leben sagen.」

英訳のタイトルは「Still say yes to life.」 です。

 

それでも YES」なのですから、

普段の ちょっと滅入った、ちょっと上手くいかない、などは 「当然 YES」なのです。

私は 日常的に起こる この「ちょっと」を一瞬でオールクリアー(AC)するため、

電卓のACボタンを押す感覚で「YES」と呟いています(苦笑)

 

しかし 人生の重大なそれでもの局面において、この「YES」の答えを出すこと、

生身には なかなか難しい。

その難しさ、フランクル派(苦笑)を自称する私の「YES歴」を振り返ってみます。

 

突然 脳梗塞に・・・・

ベッドの中で、ためしに唱えた 「YES」

 

突然 家族との別れが・・・・

唱えるのを止めた 「YES」

 

信じていた人に裏切られ・・・・

何度も呟いた 「YES」

 

追い求めた“坂の上の雲”が目の前から消えた・・・・

当分の間 言わないことに決めた 「YES」 

 

親が死んだ・・・・

報恩の機会を失った自分に 「NO」

 

重要なそれでもの局面で 必ずしもスムーズに「YES」と答えられなかった我が半生ではありましたが、

それでも言いたいと思っている「YES」が今あります。

それは 人生の最後の瞬間に言う 「YES」 です。

「あぁあ 楽しかった」って長い台詞に替えて。

 

そして今、「人生の最後の問い」にこの答えを出すため、

60歳からの「人生本番プロジェクト」をスタートしました。

 

最後に、私が一番影響を受けたフランクの「言葉」を著書の中からご紹介します。

 

『私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。

つまり、私たちは、生きる意味を問うてはらなないのです。

人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのです。

私たちは問われている存在なのです。

私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、

「人生の問い」に答えなければならない、

答を出さなければならない存在なのです。』

2015年5 月31日

NO.199-1(メインコラム)無名

今回のテーマは「無名」です。

 

美術館で心惹かれる絵画や彫刻に出会った時、

本の中で紹介されたメッセージや歌や詩に感動を受けた時、

さて作者は誰かと確認すると、「作者不詳」「作者不明」とか「詠み人知らず」 との記載が。

こんな経験 ありませんか? 

 

私も 先日 渋谷 松濤美術館の「いぬ・犬・イヌ展」に行った時もそうした経験をしました。

特に江戸時代、江戸時代以前の作品の中で

「よくもこれだけ犬の表情を上手く(或いは精緻に)表現できたものだ」をと感心し

作者を確認すると「作者不詳」との表示。

 

頭の中をぐるぐると・・・・・・・・妄想が、

名もない庶民が作ったから 名前が不明なのか

作者に匿名にしなくてはならない理由があったのか

長い歳月の中で誰かの意図により名前を消されたのか

作者は「有名になりたがる人」を横目にニヤニヤしていたのか

 

しかし・・・・・・・・ それにしても、

作者不明にもかかわらず、何十年 何百年と市井の人々の間で語り継がれ 聞き継がれ 

我々の時代まで辿り着いた このエネルギーの凄さよ!!

 

次の文章は、 先日 知合いに教えてもらったものです。

世界中のたくさんの人々の間で 長い間 語り継がれ 聞き継がれ

今も この文章を「自分の手帳に書き留めている」人が沢山いるそうです。

 

「神様の配慮」

大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神様に求めた。

だが、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。

 

より偉大なことができるようにと、健康を求めた。

だが、より良きことができるようにと、病弱を与えられた。

 

幸せになりたいと、富を求めた。

だが、賢明であるようにと、貧困を授かった。

 

世の人々の賞賛を得ようと、成功を求めた。

だが、得意にならぬようにと、失敗を与えられた。

 

人生を楽しみたいと、あらゆるものを求めた。

だが、あらゆることを喜べるようにと、質素な生活を与えられた。

 

求めたものは、何一つ与えられなかった。

だが、「人生の意味を味わいたい」「悔いのない生き方をしたい」 という私の願いは、

すべて聞き届けられていた。

 

私は、今、気が付いた。

私の人生は、あらゆる人の中で、もっとも豊かに、祝福されていたのだ。                         

                                         (作者不詳)

2015年4 月25日

NO.197-1(メインコラム)遺書の行間

今回のテーマは「遺書の行間」です。

 

先週の月曜日、鹿児島の「知覧特攻平和会館」を訪れました。

沖縄戦で出撃した陸軍特攻隊1,036名の内436名がこの知覧から出撃しました。

敵空母に体当たりできた機はごく1部で、ほとんどの機は敵空母に到達する前に撃墜され、

隊員もろとも海の藻屑と消えました。

知覧を飛び立ち戦闘地の沖縄まで、2時間30分の飛行時間。

彼らは人生最後の2時間30分の間、何を考え機を操っていたのか? 知る由もありませんが、

出撃前に彼らが書いた多くの「遺書」が残されています。

私は、その「遺書の行間」から何かを感じ取ってみたい。

その思いで今回「知覧特攻平和会館」を訪れました。

 

さて現物の遺書を目の前に・・・言葉を失いました。

来館者のすすり泣きがあちらこちらから聞こえてきます。

 

彼らは、「誰のために死ぬのか」「何のために死ぬのか」、その「理由」を心の中で作り上げ、

それを文字で表し、気持ちを浄化させないことには己の平常心を保てなかったのではないか。

 

当時の国のリーダー達たちは、始めてしまった戦争を、己の責任回避、己の保身のため、終わらせることが出来ないまま、ついに、若者を犬死させる作戦の断を下したのではないか。

 

「死ぬ理由を探そうとした若者たち」と「犬死させる断を下したリーダーたち」

「平和会館」という呼び名があまりにも薄っぺらく感じられます。

誰が取ったのか? 俺たちを犬死させた責任を。

俺たちは国を守る。国は俺たちを守ってくれたのか?

まさに「心の叫び会館」です。

 

館内で目が釘づけになった5通の遺書をご紹介します。

書かれたのは70年前の今ごろです。

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あんまり緑が美しい 今日これから 死にに行くことすら 忘れてしまいそうだ。 

真っ青な空 ぽかんと浮かぶ白い雲 6月の知覧は もう蝉(せみ)の声がして 夏を思わせる。  

作戦命令を待っている間に  小鳥の声がたのしそう 

「俺も今度は小鳥になるよ」

日のあたる草の上にねころんで 杉本がこんなことをいっている 

笑わせるな 

本日十三時三五分

いよいよ知覧を離陸する 

 

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今は出撃2時間前です。

私と一行皆朗らかです。私もニッコリ笑って行きます。

今はもう総ての俗念を去って、すがすがしい気持ちです。

数時間後にはこの世を去るとは思えないほど。

抱える爆弾はどす黒く光っています。

では、行ってきます。

皆様、お元気で

 

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正憲、紀代子へ

父ハスガタコソミエザルモイツデモオマエタチヲ見テイル。

ヨクオカアサンノイイツケヲマモッテ、オカアサンニシンパイヲカケナイヨウニシナサイ。

ソシテオオキクナッタレバ、ヂブンノスキナミチニススミ、リッパナニッポンジンニナルコトデス。

ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。

「マサノリ」「キヨコ」ノオトウサンハカミサマニナッテ、フタリヲジット見テイマス。

フタリナカヨクベンキョウシテ、オカアサンノシゴトヲテツダイナサイ。

オトウサンハ、「マサノリ」「キヨコ」ノオウマニハナレマセンケレドモ、フタリナカヨクシナサイヨ。

オトウサンハオオキナジュウバクニノッテ、テキヲゼンブヤッツケタゲンキナヒトデス。

オトウサンニマケナイヒトニナッテ、オトウサンノカカタキヲウッテクダサイ。

                                              父ヨリ                                                     マサノリ キヨコ フタリヘ 

 

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人生の総決算 何も謂うこと無し

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何も書くことはありません。

只ご両親様及久美子の健在を祈るのみ、勲は決して人におくれはとりません。

潔く散るのみです。目標は正規空母です。

十日位したら徳島海軍航空隊第十四分隊五班上野功君に便りして下さい。

真実は受け取ったと泣かずにほめて下さい。

幸多かれしと祈るなり。

親戚の皆様へ宜敷く。                                

 

                                             以 上

2015年3 月28日

NO.195-1(メインコラム)卒業式

今回のテーマは「卒業式」です。

先日の3月20日(金)、私は、母校の杉並区立西宮中学校の第53回卒業式にお招きいただく機会に

恵まれ、今年の卒業生123名の旅立ちを見届けました。

思えば43年前、私たちの第10回卒業式も 今日と同じ場所のこの体育館で行われました。

式の最中、私の頭の中は、「目の前の映像」と「43年前の映像」が行ったり来たり交錯し、

頭がボッーとし始めたその刹那、自分の身体に電気が走りました。

これが、私の原風景なんだ! 

 

43年前の卒業式で、私は、

行きたかった高校に行くことが叶わなかったことの挫折感。

好きだった女性に自分の気持ちを伝えることができなかったことの空しさ。

いつも目の前にいることが当たり前だった仲間達との別れの苦しさ。

そして明日から一人ぼっちになってしまうのでは、という寂しさ。

43年前の私は この場で きっと心に誓ったんだと思います。無意識の中で。

『この先の人生において、二度とこんな思いをすることが無いよう、悔い無き生き方をする。』と。

 

そんなことを思いながらあらためて目の前の卒業生たちの表情を覗いてみると、

照れて笑い泣きしている男の子。

口をきっと結び正面を見つめている女の子。

無表情を作っている(ように見える)男の子。

鼻を押さてすすり泣いている女の子。

君たちの未来に幸あれ! 

 

その日の夜、今でも付き合いのある同窓生数人に 

「43年前の俺たちの卒業式の時のこと、覚えているか?」とメールをしました。

間もなくW君からレスポンス。

『あの日は一旦みんなにお別れを言ってひとり帰宅しかけましたが、やはりそのまま西宮を去るのが寂しく、ぐるっと畑を回ってもう一度裏門から学校に戻りました。そしたらみんなもまだ大勢教室に残っていて、その時に廊下でMYさんが泣いていたのを覚えています。遠い昔の、前世の記憶のようです。』

 

それにかぶせてO君から、

『こんばんは 卒業式はあんまり覚えていないです。でも おもい残しがあって帰った記憶があります。よく覚えているのは修学旅行 談山神社の満天の星。』

 

中学卒業と同時に九州に引っ越したS君からは、

『W君の話し、何故か知っています。みんなが西宮を去るとき、俺は、東京も去りました。』

 

どうやら一人ぼっちではなかったようです。

いま、みんなと、きもちが、つながっていました。