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2014年6 月13日

NO.181-1(メインコラム)未完結の問題

今回のテーマは「未完結の問題」です。

 

心理療法の1つに、精神分析医パールズが考案した「ゲシュタルト療法」があります。

 

「ゲシュタルト療法」とは、 クライアント(相談者)の心の奥底に潜む「未完結の問題」や「未完結な悩み」を

①クライアントに「いま、ここ」で再体験させ、

②クライアントの「新たな気づき」を引き出し、

③クライアントが抱える問題や悩みの解決を図る。

という療法です。

 

先日、この「ゲシュタルト療法」に関する書物を読んでいたとき、

さて、自分にとって「未完結の問題」は何か? 気になり始め、考えてみることに・・・・・。

そうだ、子供のころ、「欲しかったけど手に入れられなかったモノ」があった!!

 

小学校1年の時

親の猛烈な反対で家で飼うことを断念させられた、拾った子猫。

 

小学校2年の時

友達は抽選に当たり、自分は抽選に外れて断念した、グリコの「鉄人28号のワッペン」

 

小学校4年の時

親に何度もねだったけれど、ついに買ってくれなかった、宮田の「レーシングカー」

 

中学1年の時

これさえ手に入れれば「試してみない?」などと言って好きなあの子の手を握れるのではと考えたものの、

結局「買ってくれ」と親にいうのが 恥ずかしくて断念することになった、任天堂の「※ラブテスター」

(※当時、自宅近くの吉祥寺駅内のロンロンにあった「王様のアイデア」で売っていた。)

 

あの頃の自分が愛おしく 心がシミジミしました。

モノを簡単に与えなかった「親」と「くじ運」に 感謝・・かな・・・。

 

そうだ、親と言えば、もっと大きな「未完結の問題」があった。

26年前に死んだ母親と、17年前に死んだ父親が生きている内に、

感謝の言葉を伝えることが出来なかった。

気付くの遅いよなぁ~自分。 自責の念で 心が少しチクチクしました。

今度、谷中の墓前で「ありがとう」を言おう。笑って聞いてくれる・・かな・・・。 

2014年4 月 5日

NO.176-1(メインコラム)もう一度 修学旅行に行きたい!

今回のテーマは「もう一度 修学旅行 に行きたい!」です。

 

今年の2月、東京が大雪だった日の翌朝、私たちは羽田空港に集合しました。

メンバーは、

1972年3月に杉並区立西宮中学を卒業した5名(男性3名、女性2名)で、

集合したのは、

43年振りに修学旅行に出発するためです。

 

修学旅行の行先は、

小学校6年まで高知で暮らしたM君の「自分の生まれ故郷、高知を皆に見せたい」という熱意により、高知に決まりました。

 

それにしても驚いたのはS君です。

S君は、長崎の軍艦島「端島」から小学校6年の時、杉並区に転校。

その後S君は3年間を杉並区西宮中学で私たちと一緒に過ごし、高校になると大分に行ったまま連絡先が不明だったところ、3年前にたまたまネットで検索出来て、実に40年振りの再会を果たしました。

そのS君が、今回奥様を連れ添って、現在の住まい熊本から一晩掛けて車で高知空港に駆けつけてくれました。

 

こうして東京からの5名と、熊本からの2名の計7名が高知空港で合流しました。

 

修学旅行1日目の日程

皆んなで目に焼きつけた、「高知城」から見た南国土佐のパノラマ。

皆んなで童心もどった、昔ながらの特産品、名品、B級グルメ満載の「日曜市」。

皆んなで時間を忘れて拾った、桂浜の美しい「五色石」。

皆んなで思わず唸った、「ひろめ市場」で食べた「カツオのたたき」。

 

修学旅行2日目の日程

仁淀川の仁淀ブルーの美しさに目が釘付けになった

お疲れ気味のO君の目を潤ませた五台山展望台からの絶景。

お喋り好きのHさん、とMさんの会話を止めた「仁淀川の天然ウナギ」 。

 

いよいよ一泊二日の修学旅行が終わろうとした時、

小学校卒業時に岐阜県の高山から杉並区立西宮中学に転校してきたHさんは、言葉を噛みしめるようにしてこう言いました、

「私、高山の田舎から東京の中学に転校してきたから、田舎者ってバカにされることが怖くて、3年間うつむいて、なじめないまま中学卒業したの。 まさかこんな日が来るなんて、想像もできなかった。」と。

 

熊本から駆けつけて来たS君の奥様は、微笑みながらこう言いました、

「主人は、『オレは中学時代とか高校時代とか昔のことには関心が無い。』って言い続けてきた人なんです。そんな彼が、数年前、皆さんとの再会出来てから、人が変わりました。不思議です。」と。

 

小学校時代まで過ごした生まれ故郷高知を案内してくれたM君は、目を潤ませてこう言いました、

「自分は、中学校時代、嫌われ者だったけど、今回 自分の生まれ故郷に、皆んなで来てくれて、喜んでくれて、今、オレ、幸せです。」と。

そうそう ずっと案内役で気を張っていたM君は、 1日目の夜遅く、皆で行ったカラオケ屋でトイレに行こうと立ち上がろうとした瞬間、お酒と安心感から気を失って ふにゃふにゃと床に崩れ落ちてしまいました。

ありがとうM君、君のおかげです。

 

最後に、

100歳近い人生の大先輩に こんなことを言われたことがあります。

私の質問:人生の目標は、何ですか?

大先輩:「やりたいことは 全部やった。」と死ぬときに言えることかな(笑)

 

なるほど、

私たちは、仲間に恵まれて やりたかったことの1つ、

「もう一回 修学旅行 に行きたい!」

を 皆で達成出来ました。

2014年3 月 1日

NO.174-1(メインコラム)己の真価を発揮したい!

今回のテーマは「己の真価を発揮したい!」です。

 

ソチオリンピックが終わり、いつもの日常が戻って来ました。

出場した選手たちが競技終了後に発した万感の思いのこもった言葉に胸を打たれました。

そして、「メダルだけが、オリンピックの目的では無い」ことを教えてくれました。

 

選手達からのメッセージを聞きながら私は、 『「己の真価を発揮したい!」という願いは、

人が持つ根源的な渇望である』ということを改めて 思いました。

 

高梨沙羅選手(17)は、こうコメントしました。

「変わらず挑んだつもりが、どこか違うところがあった」。

「また戻ってこられるように、もっともっとレベルアップしたい」。

 

葛西紀明選手(41)は、こうコメントしました。

「45歳、49歳と体力や技術はもっと向上する。諦めないでいけるところまでいきたい」。

 

今回を最後のオリンピックと決めていた2人、

 

上村愛子選手(34)は、こうコメントしました。

達成感マックス。五輪をすごくいい思い出で終われる」。

 

浅田真央選手(23)は、こうコメントしました、

4年間目指してきた演技ができ、支えてくれたたくさんの人に私なりの恩返しができた」。

 

4年に一回のオリンピック。 選手たちは、どんな思いで4年間を過ごしてきたのでしょうか?

スランプに陥り、競技生活を続けていくことに自信を失いかけたことも一度や二度ではないでしょう。

でも諦めず、“己の真価を発揮する”日が来ることを信じ、

日々の鍛錬を続けてきた彼ら彼女たちが発した言葉だからこそ、

「秘すれば花」の重みと美しさと凄みがあります。

 

人生の本当の辛さは、努力することや挫折することにあるのではなく、

「己の真価を発揮する」ことなく、「己の人生を終える」ことに、

一番の辛さと惨めさがあるのかもしれません。

 

さて最後に、皆さん(私自身にも)に提案です。

死期を迎えた時、

「現世は、己の真価を全て発揮し、支えてくれたたくさんの人に私なりの恩返しができた」。

と思えるよう、私たちも「いけるところまでいきましょう!!」

己の真価を全て発揮するまで。

2014年2 月 1日

NO.172-1(メインコラム)「幸せ感」と「血液型」

今回のテーマは『「幸せ感」と「血液型」』です。

 

幸せになりたい。幸せを願わない人はいません。

では、

自分はどんな生き方を「幸せな生き方」だと考えるのか? 

自分はどういう状態を「幸せ」だと感じるのか?

この問いに対して明確な答えを持っていない人。意外と多いのではないでしょうか。

 

そこで、今回、

私が付き合ってきた人が持つ「幸せ感」と、その人の「血液型」との組み合わせから導き出した、

私説 『「幸せ感」と「血液型」の4つの組み合わせ』 を大胆にも発表します。

 

【4つの代表的な「幸せ感」】

Ⅰ型

チャールズ・チャップリン(1889~1977:俳優、コメディアン)の定義

・人生に必要なのは、「愛と、勇気と、サムマネー」。

 

アダム・スミス(1723~1790:経済学者、神学者、哲学者)の定義

・幸福は心の平静にある。 

心の平静には、「最低水準の収入」を得た上で、

「健康」「負債がない」「良心にやましいところがない」の3つが必要十分条件。

 

Ⅱ型

マーティン・セリグマン(1942~:心理学者)の定義

・3つの幸せを創造する生き方。

①快楽を手に入れるよう最善を尽くすことで幸せを得る生き方。

②何かに関与し没頭することで幸せを得る生き方。

③人生の意義を追求することで幸せを得る生き方。

 

Ⅲ型

フリードリッピ・ヘーゲル(1770~1831:ストア主義哲学者)の定義

・第一段階:人と比較せず、「自由」の状態を得る。

・第二段階:自分も他人も共に認める普遍を追求し、「自由」と「他者からの承認」の両方を獲得する。

 

Ⅳ型

ジークムント・フロイト(1856~1939:精神分析学者、精神科医)の定義

・自分のコントロールする「超自我」、自分の本能「エス」、自分の「自我」。

・「自我」は常に「超自我」と「エス」の板挟み状態にある。

・よって「幸せ」とは「自我」を安定させることにある。

 

さて、Ⅰ型、Ⅱ型、Ⅲ型、Ⅳ型。 どの「幸せの感」が一番しっくり来ますか?

 

では、次に「血液型」と組み合わせます。

【4つの組合せ】

「Ⅰ型がしっくり来る」と思われたアナタ。血液型はA型ではありませんか?

「Ⅱ型がしっくり来る」と思われたアナタ。血液型はB型ではありませんか?

「Ⅲ型がしっくり来る」と思われたアナタ。血液型はO型ではありませんか?

「Ⅳ型がしっくり来る」と思われたアナタ。血液型はAB型ではありませんか?

 

どうでしょうか?

 

私の血液型はB型。

私の「幸せ感」は

「Ⅱ型の③」に Ⅰ型の「最低水準の収入」或いは「サムマネー」を加えたものが 近いと考えています。

 

ちなみに、私にとっての「最低水準の収入」或いは「サムマネー」とは

普段の生活は質素で良いから、 時々後輩やお世話になった人に食事を奢ることが出来る、

時々好きなところに旅に行ける、

好きな本の購入に不自由しない。

という定義です。

 

皆さんは自分の「幸せ感」をどう定義しましたか?

2014年1 月10日

NO.170-1(メインコラム)全ては体験から始まる

今年初めのテーマは、「全ては体験から始まる」です。

 

新約聖書「コリント人への第一の手紙」に有名な一文があります。

『十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力で ある。』と。

 

この文言の意味について、年末お会いした知人の牧師が次のように教えてくれました。

「神学的な解釈はややこしいのですが、

要は、キリストの十字架を受け入れることが出来るか否か。と言うことです。

何が 出来るか出来ないか、を分けるのか?

バプテスマ(洗礼)を受けたかどうかは根本的な問題ではないのです。

大事なことは“神の力”を実際に“体験”することなのです。

宗教は自己啓発ではない。“体験学”なんです。」と。

 

(注)体験⇒「自分が身をもって経験すること」(広辞苑第6版より)

 

つまり、

牧師がどれだけ言葉を使って教えたとしても、

どれだけ言葉を使って洗礼に導いたとしても、

そうした行為は、

自分が身をもって 神の力を“体験”したことの無い人にとって、 無意味な(愚かな)ことだ。

ということです。

 

今回 牧師の話を聞き私は、

“体験”することのパワーの凄さに改めて気付かされました。

 

では、新たな“体験”の量と質をどうやって高めるのか?

①自分の「進化したいという根源的な渇望」 に蓋(ふた)をしない。

②「自分の領域と異なる世界」 に身を置く人と接点を持つ。

 

月並みですが、そう言うことだと思います。

 

さて、年頭に当たり私は、2014年の自身のテーマを、

「自分に対して①と②を定期的に☑する。

そして『お~ぃ、体験しているか?』と時々問い掛ける。」 にしました。(苦笑)

 

そして、今回、皆さまに、この「体験」という言葉をお伝えしたく、このテーマを年頭に取り上げました。 

 

皆さまにとって 今年1年が素晴らしい年になりますように!!