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2017年5 月29日

NO.213-1(メインコラム)社会とつながる力

私は、資料を作成する時、集中するための適度な雑音を求めて、自宅近くの3つの図書館(杉並区の宮前図書館、武蔵野市の吉祥寺図書館、中野区の中央図書館)を利用しています。

また、仕事関係の本を読む時は、これまた適度な雑音を求めて、自宅近くの喫茶店(ドトールかスタバ)を利用しています。

 

この近所の図書館と喫茶店で4~5年ぐらい前から変化が起こっています。

 

図書館では、

3つの図書館とも1Fに「さまざまな分野の雑誌」と「各社の新聞」を自由に閲覧できるコーナーが有るのですが、現在このコーナーは高齢者の方々でいっぱいです。開館時から、長い人は夕方まで、複数の雑誌と新聞を丹念に読み続けています。

 

喫茶店では、

試験勉強をしている高校生達に交じって、一杯分のコーヒー代を払った沢山の高齢者が、長い時間を掛けて、持参した本を読み続けています。

 

私の地元では、図書館や喫茶店が、団塊の世代を中心とした高齢者の方々の居場所になっているのです。

 

そしてこの高齢者の人たちに共通していることが2つあります。

それは高齢者の皆さんはいずれも「男性」で「独りで来ている」ということです。

 

ひょっとして「独り」を楽しんでいるのかもしれませんし、

何か「目的」があって調べものをしているのかもしれませんが、

いつも同じお顔を拝見するので、何か「もったいなさ」を感じてしまいます。

社会にとっても、ご本人にとっても。

 

さて、本日のテーマを「社会とつながる力」としました。

私は、人生90年時代の21世紀において、このテーマは国民的テーマであると

考えます。

 

まず「社会とつながる力」の「社会」とは何を指すのか?

「社会」の意味を広辞苑で確認すると、

「家族、村落、ギルド、教会、会社、政党、階級、国家などが主な形態

と出ています。

 

つまり「社会とつながる力」が弱い人とは、

上記の主な形態とのつながりが弱いため、そこに居場所のない人、

という見方も出来ます。

よって「社会とつながる力」が弱い人は「独り」になる可能性が高いのではないか。

 

 

では次に「社会とつながる力」の「つながる力」とは「どのような力」なのか?

 

私はその力を次の「X」と「Y」と「Z」の掛け算である、と定義しています。

「社会とつながる力」=(自分の得意技)×(社会や他人のニーズ)×(人脈)

です。

40代、50代向け「セカンドキャリア研修」を実施して感じるのは、

「X」と「Y」と「Z」の各レベルを、A(優)、B(良)、C(不可)と3ランクに分けた場合の参加者の方の各レベルが、

「X」はAかBかCランクにばらけるのに対して、「Y」と「Z」は殆どの方がCランク、というアンバランスさです。

 

なぜそうなるのか?それは40代、50代の多くの方が

「Xのレベルを高めるための行動」には関心が高いが、

「Yの感性を磨くための行動」や「Zを構築するための行動」に対する観念が薄いという事です。

無理もありません。

長~い長~いサラリーマン生活の習いで、「社外のY」や「社外のZ」に対する観念はどうしたって希薄になります。

 

そこで私は、上記の研修の中で、

「40代、50代の現役の内に『社会とつながる力』を鍛えていただく」ために、

「YとZの重要性の理解⇒腹落ち⇒YとZを高める行動案の作成」を実施しています。

 

さて、最後に明治の文豪 夏目漱石の『断片』(大正四年)の中に

この「X」と「Y」と「Z」に関して示唆に富む文章があります。

最後にこれを紹介させていただきます。

『技巧の変化(右、左、縦、横、筋違)、そうしていずれも不成功の時、どうしたら成功するだろう? という質問を出してまた次の技巧を考える。そうして技巧はいかなる技巧でも駄目だということには気がつかず。人間の万事はことごとく技巧で解決のつくものと考える。そうしてすべての技巧のうちどれかが中(あた)るだろうと思う。彼らが誠に帰るのはいつの日であろう。彼らは技巧で生活している。あたかも、水の中に生活している魚が、空気という観念がないにどうしたら地上を歩くことができるかと工夫するようなものである。』

                                                         以 上

2017年5 月12日

NO.212-1(メインコラム)起承転結

第一話(起)

先日たまたま自分の手帳をパラパラめくっていたら、

こんなことが書いてあるのを見つけました(出所は書き忘れており不明)。

 

『5年計画を作っているのは旧ソ連ぐらい。

 新規事業にとって計画や分析は必要十分条件ではない。

キーワードは

①MVP(実用最小限の製品・サービス)を作り試す

②顧客からのフィードバック(実験)

③仮説検証と学習

 これを答えが出るまで繰り返す。』     

                    以上

 

なるほど、新規事業を夢に置き換えたら、

けっこう人の生き方と似ているかも・・・・・・・・・・。

 

 

第二話(承)

先日たまたま自宅でテレビを観ていたら、

ビールのCMで、所ジョージに対して別のタレントが質問して、

所ジョージがそれに短い言葉で答えるという禅問答のようなシーンがありました。

 

『他のタレント「夢とは?」

 所ジョージ「急に持たない方がいい。 

       いろんなことをやっているうちに見えてくるもの」』

 

『他のタレント「運命とは?」

 所ジョージ 「答えが見つからなかった時に使う言葉

        諦めた時に言ってしまうよね 運命って」』

                               以上

 

 

第三話(転)

先日たまたま自分の手帳をパラパラめくっていたら、

こんなことが書いてあるのを見つけました。

体験して はじめて身につくんだなあ(相田みつを)』

つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの(相田みつを)』 

                                      以上 

 

 

第四話(結)

先日ふっと言葉が出てきました。

つまりこういうことかな? どうだろう 無理ないかな?(苦笑)

 

『バッターボックスに実際立ってみて

 バットを振ってみなくちゃ分からないよね。

 体験してはじめて身につくんだよね。

 夢の捕まえ方って。』

 

『自分の責任で答えが見つかるまで仮説検証と学習を続けることだよね。

 答えが見つからないのを運命のせいにしてしまったらそこまでだよね。

 何度つまずいたっていいんだよ オレたち にんげんなんだから。』 

                                         以上

 

2017年4 月25日

NO.211-1(メインコラム)The last piece of the jigsow(puzzle)の見つけ方

今回のタイトルは、「The last piece of the jigsow(puzzle)の見つけ方」 です。

 

ジグゾーパズルをやったことが無い方はいらっしゃらないと思います。

開始そうそう2つ目のピースが見つからずイライラしてゲームを諦めてしまったこと、ありませんか? 

ピース数の多いものは特に見つかり難いですよね。

 

子供のころ堪え性の無かった私は、序盤のこのイライラでゲームを投げ出してしまったことを覚えています。

 

さて今回のタイトルにあるThe last piece of the jigsow(puzzle)、

直訳すると「ジグゾーパズルの最後の一片(ピース)」ですが、

英語圏ではこれを比喩(ひゆ)的に

「何かを完成させるために必要な最後の要素」あるいは「問題解決のための最後の鍵

という意味で使われています。

 

さらにこの比喩的表現が言わんとするのは、

『ゲーム序盤、中盤において決して姿を現すことの無い「最後のピースX(「最後の鍵」)」が、

残り1つまで詰めた状態にしてほっておけば、そのうちXは自分から姿を現す。』

ということです。

 

では仕事の中で見てみましょう。

「何かを解決したい。でもどうしたら解決できるのか? 決めてのXが何か分からない」

と言う時どうするか?

この場合も同じことが言えます。

解決するために必要なものは何か? 

まずは、分かっている要素を並べて置いておく。

要素A + 要素B + 要素C +(要素X)=〇〇の問題を解決したい

 

必要な何かが足りない この(要素X)は何か?

 

あとは、脳が勝手に働くのに任せてほっておく。

するとあら不思議、それまで正体が分からなかった「最後の鍵となる要素X(The last piece)」が頭の中に姿を現します。

 

さいごは、それを嵌(は)め込んで問題解決です。

 

どうでしょうか?

 

ではキャリアの中で見てみましょう。

「自分がやりたいことを成し遂げたい。でも何を身に付けたら成し遂げられるのか? 

決めてのXが何か分からない」と言う時どうするか?

自分の能力、経験は何か?

自分の足りない能力、経験は何か?

まずは、思い付くものを書いてみましょう。

 専門A + プチ専門B + プチ専門C +(専門X)+ 教養①=〇〇を成し遂げたい

 

必要な何かが足りない この(専門X)は何か?

 

この場合も、この未完成の状態のまま、あとは脳が勝手に働くのに任せてほっておく。

するとそのうち「最後の鍵となる専門X(The last piece)」は自分から正体を現します。

 

さいごは、それを嵌(は)め込んで行動計画完成です。

 

さいごに「最後のピースX」のお話をもう1つ。

私事ですが、

昨年の春、「これまで自分が1度も行ったことの無い都道府県はどこなのか?」という問題がふっと頭の中に浮かびました。

さっそく自分の記憶を辿りながら日本地図を前にして確認を始めました。

 

すると1度も行ったことが無かったのは「秋田県」「鳥取県」「島根県」「徳島県」の4県であることが判明しました。

  

もし行ったことの無い県の数が10とか20だったら、脳は私に向かってこの問題を投げ掛けなかったと思います。

 

そこでこんどは 私が脳に向かってこう言いました。

「そうだ、4県に行こう!」

 

2017年3 月30日

NO.210-1(メインコラム)モデリングは最強の学習法

私は入社したトヨタ自動車の新入社員研修で、

「トヨタ自動車は、その揺籃(ようらん)期にフォードを徹底的にモデリングして、世界的企業に成長する礎を得た」ことを知りました。

これが私とモデリングという言葉との出会いです。

 

ちなみに、ウイキペディアでは、「モデリング」を次のように説明しています。

『モデリング(: Modelling)は、心理学用語のひとつ。何かしらの対象物を見本(モデル)に、そのものの動作行動を見て、同じような動作や行動をするのがモデリングである。人間(主に子供)の成長過程では、モデリングにより学習・成長するとされている。思春期から大人にかけての時期では、憧れの意識から、対象の人物に少しでも近づきたいという心理が発することがある。また、芸能人ファンが、その対象人物のファッション仕草などを真似るのは、モデリングのひとつである。』

 

また、教育論の教科書は、「モデリング」を次のように説明しています。

『技能(スキル)学習のステップは、一般的に「見本を見せる(モデリング)→それを試行させる→試行の結果をフィードバックする→練習させ、勇気づける→成果を評価する」というプロセスをとる。その中で、見本を見せること(モデリング)による学習は特に重要である。』

 

さて、今回「モデリング」をテーマとして取り上げたのは、

私の「モデリング」に関する問題意識からです。

・実は、意外と多くの方々が、学習法としての『モデリングの凄さ』に気が付かぬまま、他の学習法(例えば自己流など)を選択しています。

・また、意外と多くの方々が、守破離の“守”を無視して 次のステップの“破る”“離れる”を実施しています。

 

そこで、研修などでモデリングについて(分かり易く「猿マネする」と言い換えて)お話をしています。

 

【モデリング(マネする)の仕方】

自分の能力を過信せず、見栄を捨てて、自分の欲する結果を明確にした上で、

自分の欲する結果を既に得ている人・対象(モデル)を自分の人生を掛けて探し出す

モデルを身近で観察するために、モデルの生徒か弟子かパートナーか知り合いになる。

・モデルのやっている、やり方、行動、考え方、思考法をじっくり観察して

 100%猿マネで技能、智慧、スキル、考え方、経験を身に付ける(モデリング)。

 

要は初めから「自分らしさ」にこだわらないということです。

初めから「自分らしくないとダメだ」などと難しいことを考えないことです。

まずは、お手本を見つけて、お手本を猿マネして、必要なスキル、必要な能力を身に付けてしまう。

「自分らしさ」は次のステップです。

我流でああでもないこうでもないと迷っていると、いつまでたっても身に付かないまま

アッという間に老いてしまいます。

 

おわりに

自分の欲する結果を得るためのモデリング」は、

犯罪にも影響を与えてきたことを 実例で紹介します。

 

【モデリングの連鎖】

1960年4月12日

フランス自動車王プジョーの孫エリック坊やが誘拐される。

(エリック坊やは無傷で救出される)

1960年5月16日

世田谷区で雅樹ちゃん(6才)誘拐殺人事件が起きる

(犯人の本山は4/14付の新聞で見た「エリック坊や誘拐事件」をヒントに誘拐を計画する)

1963年3月1日

映画「天国と地獄」(監督:黒澤明)封切される

(映画監督の黒澤は「雅樹ちゃん誘拐事件」をヒントに映画「天国と地獄」を作成する)

1963年3月31日

台東区で吉展ちゃん(4才)誘拐殺人事件が起きる

(犯人の小原は映画館で見た「天国と地獄」の予告編をヒントに誘拐を計画する)

 

以上

2017年2 月 4日

NO.208-1(メインコラム)給料をもらうという働き方

先日、地元 杉並区の中学校から講師の依頼がありました。

 

中学2年生に向けて、

「ご自身の体験から、今、中学生にとって必要なことは、何か」

というテーマで授業をやって欲しいとのお話し。

 

お受けすることにしたものの、

さてさて、「ご自身の体験から・・・体験から・・・」などと考えながら、

まず考えの糸口として、

 

自分のキャリアの中でも一番長く携わり、

現在の日本の就業者の89%もの人が携わっている、

サラリーマン(給料をもらうという働き方)が、いったい いつ頃、どこで、誕生したのか、について調べてみることにしました。

 

 

調べてみると、まず

★日本電車発展史(保育社)という本の中に「サラリーマン(腰弁)」に関する次の記述がありました。

 

『工場ができ官庁や会社が立ち並ぶようになると都会では

通勤という現象が起きてくる。

腰に弁当をさげた(腰弁)勤めの人の姿は明治40年の島崎藤村の短編「並木」にも

描かれているが、東京大阪などでは路面電車の発達が徒歩から電車利用による通勤圏の拡大をすすめた。』

 

 

次に、この本に出てきた「通勤という現象」という言葉をキーワードに調べてみると、

★明治33年(1900年)の朝日新聞に次の記事がありました。

 

『最近、東京の省電で、腰に弁当を提げた人たちが乗車している一風変わった景色がみられるようになった。

毎朝自宅を出て勤め先まで省電を使って通う人たちである。ちなみに当新聞社で

調査したところによると、現在、我が国の成人男子の内、平日昼食を自宅で取っていない人は3%もいるそうである。』と。

 

 

少し驚きだったのは、

つい120年前まで、我が国の成人男子のほとんどは、昼食を当たり前のように自宅で取っていたという事です。

 

 

★厚労省の資料で1900年当時の就業状況を調べてみると、

 

農林漁業(第一次産業)従事者は7割、

商業(第三次産業)従事者が2割、

モノ作り(第二次産業)従事者が1割、です。

 

自宅ランチ派が多いのは、2/3以上の人が農林漁業に従事していたことも理由として考えられそうです。

 

 

次に先ほどの本「日本電車発展史(保育社)」に出てくる

島崎藤村の短編「並木」を確認してみると、作中に次の記述があります。

 

『近頃 相川の怠けることは会社内でも評判に成っている。一度弁当を腰に着けると、

八年や九年位提(さ)げているのは造作も無い。齷齪(あくせく)とした生涯を塵埃(ほこり)深い巷(ちまた)に送っているうちに、最早(もう)相川は四十近くなった。

もともと会社などに埋(うず)もれているべき筈(はず)の人では無いが、年をとった

母様(おふくろ)を養う為には、こういうところの椅子にも腰を掛けない訳にいかなかった。』と。

 

 

少し驚きだったのは、 

主人公の相川というサラリーマン(腰弁)主人公の気持ち、

「プライドを捨ててしまえば腰弁(サラリーマン)を続けるなど訳ない(造作も無い)ことだ。」その一方で

「何も好きこんので腰弁(サラリーマン)を続けている訳ではない。」

など、現代のサラリーマンにも彼の心情が理解できる内容だった事です。

 

 

 

おやおや、中学2年生に何を話そうかと思案していたつもりが、いつの間にか110年前の腰弁の世界に入り込んでしまいました。

 

話を授業に戻します。

 

 

【授業の中盤はこんな感じかな?】

 

さてさて、中学2年生の皆さん、ここから大事なところです。

 

相川氏が生きた110年前は、人生60年の時代でしたが、西暦2000年以降に生まれた皆さんは、2人に1人が「100歳以上生きる」と言われています。

 

人生100年時代の到来です。

 

寿命が延びる一方で、生活基盤に目を向けると、既に、年金が破綻し始め、人の知識労働の一部がAIに代替され始め、中国・インドの中間所得層が知識労働者として台頭し始めています。

 

そんな状況の中、「給料をもらうという働き方(サラリーマン)」をこれまでの様に(相川氏の様に)造作も無く続けようとしている人が今、正規社員、非正規社員の区別

なく脱落し始めています。

 

 

さて では どうしたら良いのか? 彼ら彼女らに何を伝えようか?

 

 

【授業の最後はこんな感じかな?】

 

まずは、一生ものの

 

「学び続ける習慣」と「相手に共感する習慣」と「自分の考えを考える習慣」。

 

この3つの習慣を造作をかけて身に付けるよう 今日から 心掛けて下さい。

 

この3つの習慣は人生の最終兵器です。

 

大人になってからこれを身に付けようとすると苦労するからね。

 

 

【最後に】

 

このブログを読んで頂いた皆さんは、彼ら彼女らに何を伝えたいですか? ぜひ教えて下さい!