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2015年4 月11日

NO.196-1(メインコラム)歴史とは何か?

今回のテーマは「歴史とは何か?」です。

 

先日、文部科学省が、2016年度から使う中学生の教科書の検定結果を次のように公表しました。

『教科書作成の指針となる学習指導要領解説書の改定し、領土教育の強化を求めた結果、 地理、歴史、公民で合格した18点の全ての教科書が「竹島」と「尖閣諸島」を取り上げ、 またほとんどの教科書が「竹島」と「尖閣諸島」を「日本固有の領土」として記載することになりました。』

 

教科書制作会社も検定を通すために必死に対応したのでしょう。

 

歴史問題。

と一口に言われますが、

私にとって、「歴史とは何か?」。

そのことを改めて考えさせられる出来事でした。

 

私は、高校を卒業するまで、「歴史」は、

『世界中の人が「同じ事実」として認識している過去の出来事』である。

と疑いもなく認識していました。

その私の認識が覆されたのは、いまでもはっきりと覚えていますが、

浪人時代に通っていた予備校の「世界史」の授業の中の予備校教師の話しでした。

その予備校教師(当時 20代半ばぐらいの人)は、我々予備校生にこんなことを言い出しました。

 

『いまの君たちは、余計なことを考えず、テキストに書かれていることを覚えることに専念してくれればそれで良い。ただ、君たちが大人になった時、改めて「歴史とは何か?」。そのことに向き合わざるを得ない時がきっと来る。

その時のためにいま2つのことを君たちに話しておく。

1つは、いま君たちが学んでいる世界史は、あくまでヨーロッパのキリスト社会の視点で書かれた通説の1つにすぎない、ということだ。

例えば今日 君たちが学んだ十字軍のこと。

これは中東のイスラム社会の視点で書かれた世界史とは 180度異なる内容である、という事。

これは、どちらの方が正しく、どちらの方が間違っている、という問題ではなく、見る視点が違うのだ。

また、いま私は「中東」と言ったが、これも西欧から見て、インドが「東」、日本が「極東」、西欧とインドの中間にあるアラビア語の地域あるいはイスラム教の地域を彼らの距離感から「中東」と命名しただけで、「中東」の人たちは自分たちのことを「中東」とは言わない。日本人は自分たちのことを「極東」とは言わないのに、「中東」という言葉は平気で教科書でも使っている。

2つ目は、そうは言っても彼らの世界観もけっして1つではないと言うことだ。

たとえば「アメリカの教科書では、ワシントンは英雄扱い」であるが、「イギリスの教科書ではワシントンは悪党扱い」である。

ただここで大事なことを君たちに伝えておきたい。

それは、アメリカの教科書には、「イギリスの教科書ではワシントンは悪党扱していること」がちゃんと欄外に記載されている。同じくイギリスの教科書には、「アメリカの教科書ではワシントンを英雄扱いしていること」が同様に欄外に記載されている。

だからイギリス人もアメリカ人も大人になって相手のことをビックリしない、ということだ。』

 

彼の話は、こんな内容でした。

 

さて、改めて、歴史問題を考えたとき、

「大人たちが歴史認識の問題を自分たちの世代で解決できない以上、

子供たちが、子供たちの世代で解決できるよう、その素地を教育の中に埋め込む必要があるのではないか?」

そんなことを私は思うのですが、 皆さんはこのニュースを見てどう思いましたか?

2015年3 月14日

NO.194-1(メインコラム)私は誰でしょう?

今回のテーマは「私は誰でしょう?」です。

少し長いですが、まず、作者不明の次のコラムをお読みください。

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「私は誰でしょう?」

私はいつもあなたのそばにいる。

一番頼りになる助け手でもあれば、 あなたが背負う最大の重荷でもある。

成功への後押しもすれば、 足を引っ張って失敗にも導く。

私はあなたの命令次第で動く。

あなたのすることを私に任せてくれれば 私は素早く正確に片づけてしまう。

私の扱いは簡単。 しっかり指示すれば、それでいい。

どのようにしてほしいのかを明確に示してくれれば 少しの練習のあとで自動的にそのことをこなす。

私はすべての偉人の下僕であり、 そして残念ながら,すべての失敗者の下僕でもある。

偉大な人が偉大になったのはわたしのおかげ。

失敗した人がしくじったのも私のせい。

私は機械ではないが,機械のように正確に そして知性あふれる人間のように賢く働く。

利益になるように私を使うこともできれば、 破綻をきたすように使うこともできる。

私にとってそれはどちらでもよい。

私を利用して訓練し,しっかりと指示をしてくれれば、 世界をあなたの足下に届けてあげよう。

しかし,私を甘く見れば,あなたを滅ぼすだろう。

私は誰だろうか?

私は習慣である。

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そう 私 の正体は 習慣だったのです。

古来、習慣に関して、 

「人間は習慣の寄せ木細工」(A man is a wooden mosaic work of Habit.)とも

「習慣は第二の天性」(Habit is a second nature.)とも

言い伝えられてきました。

私は、50歳の時に経験した大病をきっかけに、

半年に一度、 自分自身の身体を構成している1つ1つの「寄せ木」の棚卸しを始めました。

≪私の「習慣の見直し」≫

【仕事・キャリア】(捨てたこと) ギブ&テイク 、⇒(始めたこと)一に貢献、二に貢献

【お金】(捨てたこと) 節約と貯金のみ、⇒(始めたこと) お金にも働かせる

【健康】(捨てたこと) 喫煙、⇒(始めたこと) 早起き(朝5時30分)&毎朝15分のストレッチ

【子ども】(捨てたこと) いつか分かり合えればいい、⇒(始めたこと) 思いは“いま”伝える

【人間関係】(捨てようとしていること) 自分の自慢話、⇒(始めたこと) まずは相手の話をよく聞く

【自己投資】(捨てたこと) だらだらテレビ観み、⇒(始めたこと) 週2冊の読書

【遊び・余暇】(捨てたこと) 美味しいラーメン店ひとり探索、⇒(始めたこと) 同級生達と年1回の修学旅行

 

最後にアリストテレスの名言を1つ、

『繰り返し行うことがわれわれの本質である。美徳さえも行為ではなく、習慣なのである。』

 

2015年1 月18日

NO.191-1(メインコラム)蕎麦のお話し

私、蕎麦好きが高じ、

全国「蕎麦の食べ歩き」を始めていたころ、

ふっと、あることが気になるようになり出しました。

それは、 これだけ日本人に愛されている蕎麦のこと、 蕎麦好きな文豪もたくさんいたのではないか? 

そして、自身の作品の中の食事シーンに蕎麦を登場させてしまっているのではないか? 

「蕎麦の薀蓄(うんちく)話」を自分に代わって作中人物に語らせているかもしれない? 

 

そこで、さっそく文豪達の作品を調べてみることにしました。

今週は「蕎麦のお話し」として 当時の調査結果を報告します。

 

まずは明治の文豪、夏目漱石の「坊ちゃん」から。

小説を読んだことのない人でも〝親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている〟という書き出しは知っているという『坊っちゃん』は、何度も映画やテレビドラマに登場しているので、ストーリーは誰もがご存じの国民的な物語です。

無鉄砲な新米教師、坊っちゃんが赴任先の四国・松山で繰り広げる珍騒動が楽しいが、トラブルの根本原因は、都会育ちの坊っちゃんと田舎の人たちの考え方や生活リズムのズレにあるようで単純に楽しめます。

坊ちゃんの時代は文明開花の明治です。

近代日本を代表する文化人で進取の気性に富んだ夏目漱石は、田舎のテンポがどうも気にくわなかったらしく、随所に都会との比較や田舎の悪口が出てきます。

そんな中、都会派の坊っちゃんはそばっ食いなんです。

ある日、そば屋を見つけた坊ちゃんは、蕎麦屋に入らないではいられない。

その状況が小説の中で次のように書かれています。

坊ちゃん曰く、

「おれは蕎麦が大好きである。東京におった時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香をかぐと、どうしてものれんがくぐりたくなった。きょうまでは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りできなくなる。」と。

「薬味の香り」とはなかなか通ですね。さらしたネギなのでしょうか?

また坊ちゃんは 「そこで看板の下のほうに「東京」と注が書かれてある店に入り、「ねだん付け」の最初に張りつけられている「天麩羅」を注文した。(中略)久しぶりのそばだったので四杯も平らげてしまった。」と記載されています。

「天麩羅」を注文とは、強烈な好みと通な感じがします。

それにしても四杯を平らげるとは 坊ちゃん(いや夏目漱石)はホントに蕎麦好きなのですね。

 

次に同じく夏目漱石の「吾輩は猫である」を見てみます。

この「吾輩は猫である」に登場する苦沙彌先生は、のんびりしていてそれでいて人生及び世の森羅万象に興味を持ち、訪れる客達と様々に批評する社会風刺がなかなか面白いのです。

また迷い込んだ一匹の猫の吾輩がそれを茶化すスタイルで進行するこの小説は一流のパロディーです。  

その苦沙彌先生のところへ迷亭氏なる客人が訪れ、来る途中で自分の昼飯に“もりそば”をあつらえてきて、主人の前で食する描写があってこれが面白く書かれています。

ご本人いかにも食通ぶって、“そば”はこうして食べるものだと、

① 山葵(わさび)をつゆの中にたっぷりと溶かし込み。

② 汁はたっぷりつけるものではないと、箸を使ってつまみあげる。

③そばは結構長くて持ち上げるまで苦労する。

④三分の一位を汁につけ、鯉の滝登りのごとくズーズーと音を立てて流し込む。

このようにそばの薀蓄を紹介しながら“ざるそば”を平らげる、場面があります。

主人と妻君はホーホーと感心して眺めているだけ。

迷亭氏山葵(わさび)にむせて咳き込んでしまう落ちが面白い。

これって現代においても通じる話で 山葵(ワサビ)を麺に付けるのか? 

汁に溶かすのか?

麺をたっぷり汁につけない、三分の一を付けるのが正統な流儀?

食通ぶった人が蕎麦の薀蓄(うんちく)を語る?

今も昔も変わらないのですね。  

 

次は大正、昭和と活躍した文豪、志賀直哉の「豊年虫」から、  

志賀直哉はあるとき気が向いて汽車で上田まで出向き、人力車に乗ってあちこち見物します。

その途中ふと“そば”が食べたくなって車夫の案内で名代のお店「藪」に入ります。

その時出された“そば”を次のように語っています。

「蕎麦は黒く太く、それが強く縒(よ)った縄のやうにねぢれてゐた。香が高く、味も実にうまかった。私はこれこそ本当の蕎麦だと思った。ただ汁がいかにも田舎臭く、折角の蕎麦を十二分に味付けしてくれなかった。東京の蕎麦好きが汁だけ持って食ひにくるという話は尤もに思われた。・・・私は車夫に蕎麦を誉めると、車夫はよろこんでゐた。」 

志賀直哉は東京の“江戸つゆ”(鰹節と味淋と砂糖のきいた〝つゆ〟が口に合っていたと思われるし、またそば粉の比率の高い地元の“田舎そば”の持つそばの香りと味わいを評価したのでしょうか。

「この田舎そばを東京の汁で食べてみたかった」との思いが伝わってきます。  

 

次に、江戸時代の江戸を書かせたら天下一品の池波正太郎を見てみます。  

池波正太郎は、彼の数々の作品の中に“そば”や“蕎麦屋”が登場してくることからも彼自身のそば好きぶりが知られます。

『真田太平記』を信州上田で執筆するときは地元の「刀屋」(そば店)へよく通ったとか。

食べ方は山葵(ワサビ)をつゆの中に溶かさないで、もりそばに箸でとった山葵をまぶして食べるとうまい、などと自身のグルメ本の中で紹介しています。  

代表作「剣客商売」には、張り込みが蕎麦屋の二階だったり、馴染みの女や、昔世話した家人達が蕎麦屋を営んでおり、“そば”を通して交誼を続けている話など、やたらとそば関連の話が出てきます。

池波正太郎がそば好きだっただけでなく、江戸という時代を語るとき“そば”を抜きには成り立たない、ということだと思います。

 

最後に、私自身が大好きで 研究?している 宮沢賢治を見てみます。

農学校教師時代(堀尾青史の記述に従うならば1923年以降)は菜食主義を止めており、吹張町7-17に店を構える「やぶ屋」のえび天そばが好物で、三ツ矢サイダーとともに注文していたそうです。

当時はよく「ブッシュに行くぞ」と言って、生徒を「やぶ屋」へと連れ出していた(「藪(やぶ)」を英語やドイツ語に訳すと「ブッシュ」)。「やぶ屋」は現存しており(店舗は当時の建物ではない)、同店のホームページに賢治の逸話が掲載されています。

双葉町にあった「嘉司屋」(かじや)の鶏肉南蛮を好んでいて、店の告知で「宮沢賢治さんが愛した柏南蛮」店内メニューで「賢治さんが愛した かしわ南蛮」と書かれているように、鶏肉が入った蕎麦も好んでいたことが紹介されています。

吹張町5-19に店を構える寿司と鰻の店「新ばし」(しんばし)のウナギも好物で、宮沢賢治の親戚にあたる関徳弥の話に「しん橋のウナギを食べたりするときは相好をくずした」という逸話があるそうです。

また、「新ばし」の紹介では「賢治の大好物は花巻の料亭「新ばし」のソバが五銭のころの五十銭の鰻丼で、いつも大ニコニコ顔で、食べていました」とも記されています。

研究者の板谷栄城は、賢治が飲酒や喫煙をしていたこともあるという証言も踏まえた上で、「賢治の名高い菜食主義が生涯を通じてのものではなく、時には平気で肉食をしたことや、すすめられれば盃も手にした」と記し、「賢治を論ずるのに、『一日に玄コメ4合』だの『生涯を通じての菜食主義』だのといった話をもち出す必要はありません」と結論づけています。 これは意外な話ですね。

もっとも、農学校を退職した後の独居自炊時代は菜食主義を研究し、粗食をしていたことが複数の人物によって証言されていて、賢治の伝記研究をおこなった堀尾青史は「菜食主義が体力の回復をはばんだといえるだろう」と、早世した原因の一つが食生活にあったことを指摘しています。

以上、私の「蕎麦レポート」でした。 「お粗末様でした」

 

2014年10 月 3日

NO.188-1(メインコラム)ひとかどの人物

今回のテーマは「ひとかどの人物」です。

 

先日 ご縁あって シェフ三國清三(みくに きよみ)さんの「還暦」と「お店の30周年」

をお祝いするパーティに出席しました。

冒頭の挨拶で、安倍首相が、三國シェフの料理を次のように評しました。

三國さんの料理は、「料理を思いついて、その料理に合う材料を使う」のではなく、

三國さんの料理は、「材料の素材を見て、その素材に合う料理を作る」と。

安倍さんが 三國シェフの料理を どの程度理解してコメントしたのか、私には分かりませんが、

安倍さんが 紹介した三國さんの基本スタンスは、

どの世界も共通の、「ひとかどの人物」が堅持している本物の規範(プリンシプル)です。

三國シェフは、この規範を堅持しているから、一流のシェフの評価を得ているのです。

 

では、この「規範(プリンシプル)」を保持している人か否か、その有・無をどう判断するのか?

実はその答え、日常のさまざまな場面で、「考え方」の違いとして表れています。

 

■例えば、キャリアの選択時

(無)「新たな仕事に就くために、その仕事に合う(有利な)資格を取得する」という考え方。

(有)「自分の能力・経験・願望を見極め、それを最大限活かせる仕事に就く」という考え方。

 

■例えば、経営の判断時

(無)「新規事業立ち上げるため、社内の各部から優秀者を選抜する」という考え方。

(有)「各スタッフ(従業員)のユニークな能力と経験とその組み合せとを見極め、それを最大限生かせる事業を生み出す」という考え方。

 

■例えば、コーチの指導時

(無)「自分のバッテイング理論の枠に 選手のフォームを修正させる」という考え方

(有)「その選手のフォームと潜在能力とを見極めて、その選手の能力を最大限発揮させるフォームを生み出す」という考え方

 

では、この「ひとかどの人物」が保持する規範(プリンシプル)を身に付ける方法はあるのか?

答え「あります」

この規範を、身に付けるには、

「心の柔軟性と素直さ」が必要となります。

そして「強い目的意識」と「見極める目」が必要となります。

①「心の柔軟性と素直さ」は、若い人の方が一般的に有利です。

②「見極める目」は、ベテランの人の方が一般的に有利です。

③「強い目的意識」の有利不利は、老若を問いませんが、「ライフワーク」の有無が影響します。

 

さて、あなたは、どのアドバンテージを活かしますか? 

ちなみに私、③にて研鑽中です(苦笑)。

2014年8 月15日

NO.185-1(メインコラム)キッカケは突然に

今回のテーマは「キッカケは突然に」です。

 

私の予期せぬキッカケは、私自身の病気がもたらしました。

脳梗塞の手術で、脳内血管を“繋ぎ”生き返ったことがキッカケとなり、病院のベットの上で、

『何かと何かが繋がると、予期せぬ化学融合が起こり、大きなエネルギーが生まれる。』のでは・・・

と突然気付き、退院後 さっそく 身近なことで出来ることから行動を起こしました。

 

まず、データとデータが繋げて 化学融合を起こすためにと、

読んだ書籍、集めたデータ・資料を全て、原則A4サイズ1枚に要約し、 データベース化し、

周りの人達に配信することを始めました。

同時に、自分が扱う分野を、次の13の分野に決めました。

「IT」「マーケティング」「経営」「経済」「財務」「人事」「コーチング」「プレゼンテーション」「リーダーシップ」「判断力・決断力」「自己概念」「人材」「自己啓発(一般教養)」。

またその中で自分が発見した化学融合の結果を周りの人にブログで伝えていく、ことも始めました。

チリも積もれば山となるで 配信データ数はA4サイズで500枚、ブログの180回になりました。

 

次に、人と人が繋がり 化学融合を起こすためにと、

メルマガを送らせて頂いている※700名の方々向けに、

(※職業、性別、年齢、国籍も多種多様な方々)

久我山亭(拙宅)で「勉強会&懇親会」を月1回開催し、ご案内することを始めました。

いまでは 久我山亭を訪れてくださる方が年間約350名になりました。

 

そうした活動を続けて5年程経ったころ、 大きな化学融合が生まれることを願い、

「人と人」「データとデータ」「人とデータ」を繋げる“小さなピン”の役目を担うことが、 自分の役割ではないか?

そのことに気付く(閃く?)キッカケとなった1つのメッセージに突然出会いました。

それは、オーストリアの精神科医、心理学者で 『夜と霧』の著者 

フランクル博士の次のメッセージです。

「どんな時も人生には意味がある

あなたを必要としている何かが必ずあり

あなたを必要としている誰かが必ずいる。

そして、その何かや誰かのために あなたにはできることがある。」

 

どうか 皆さまに 大きな化学融合が生まれますように!!