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2010年12 月31日

NO.45-3(NO.45-1関連その2)高校3年生に告ぐ”王道を歩め”

今回(45-1のメインコラム)の関連資料としてご紹介するのは、塩野 七生 さん著作の「生き方の演習 若者たちへ」です。

 

塩野さんは若者たちへ次のようにアドバイスしています。何年か前の先輩たちのようなやり方をしていたのではいけない、と考えてください。大切なのは、学校にも企業にも頼ることなく、自分をみがくことです。

 

高校生諸君!大学生の1年から3年までの3年間の時間を有効に活用してください。

 

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                          「生き方の演習 若者たちへ」(塩野 七生 著)

 

☑外国人と比べると、日本人には決定的とも言えるような大きな欠点があります。あなた方はそうならないで欲しいと願っていますけれど、これは日本の為政者によく見られる欠点です。つまり、どうも日本人は選択肢をひとつしかもたないということが目に付いて仕方がないんです。

ものごとを決断するには、どんな場合でも、いくつかの選択肢があるはずです。それらの中からひとつの方向を決めるには、情報というものが非常に重要になってきます。そういういろいろな情報は、何かひとつだけのことしか頭にない人には通り過ぎてしまいます。それを通り過ぎさせないようにする。多くの情報をただ集めるのではなくて、項目別に整理するというか、固めておくわけです。こうしてはじめて、選択肢がいくつかもてるようになるのです。

古代ローマの人ユリウス・カエサルはこんなことを言っています。「人間ならば、誰にでも、現実のすべてが見えているわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」。この一文をよく考えてみてください。

 

☑私は、若いあなた方に必要なのは、やはり何といっても教養だと思います。ルネサンス時代の教養というのは、他の人たちの専門分野にも好奇心を働かせるという意味なんです。田舎暮らしを優雅にするためというような、イギリスのジェントルマンの時代の概念とは違うわけです。

教養は、イタリア語ではクルトゥーラと言います。この言葉の語源であるコルティヴァーレという言葉になると「耕す」という意味です。他のことをやっている、そういう人たちの仕事も、好奇心を働かせて理解する。そうすると、自分の専門技術だけでは達成できなかったことも達成できるかもしれない、ということなんです。

 

☑刺激に免疫をつける生き方とはどういうものかと言うと、やっぱり、いろいろなことをやってみることだと思います。そのためには、自分を開放するほうがいいと思います。それは、読者の方々を見ていて感じることでもあるのです。「あっ、この人は上に行ったら伸びそうだな」とか「だめだな」というのがわかるんです。二十歳ぐらいではまだわかりませんけれど、二十代の後半になるとわかります。

どういうことかと言うと、これには二つの特徴のようなものがあるんです。まず、好奇心が強いかどうかということです。それともうひとつは、大胆であるということです。

 

☑以前は、日本の企業は自分のところで育てますと言っていましたけれど、今や日本の企業にはそんな余裕はありません。即戦力になる人材を求めてきます。また、一企業のカラーに染まるようでは「つぶし」がきかなくなって、かえってリストラの犠牲にもなりやすい。

つまり、変わりつつある時代、ないしは企業の求めに応えるには、しっかりと勉強する他ないわけです。何年か前の先輩たちのようなやり方をしていたのではいけない、と考えてください。大切なのは、学校にも企業にも頼ることなく、自分をみがくことです。

2010年12 月29日

NO.45-2(NO.45-1関連その1)高校3年生に告ぐ”王道を歩め”

今回「45-1(メインコラム)の関連その1」として、ご紹介するのは、ご存知ジャック・ウェルチの著作「ジャック・ウェルチの私ならこうする!」です。  

 

氏は「これからの学生が学ぶべき言語は中国語、専攻に関しては、バイオテクノロジーIT(情報技術)、ナノテクノロジー の三つの関連分野である」と述べています。

 

高校生諸君の参考になればと思います。

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       「ジャック・ウェルチの私ならこうする!」(ジャック・ウェルチ著)

  

☑「一生の仕事」の見つけ方

まず、最終的にどうなりたいのかの大きな目標を立てて、そこに到達するにはどうすればよいのか完璧なキャリア戦略を作成してから働きはじめる、なんてことは現実のビジネス人生ではほとんどあり得ないという事実を認識すべきだ。

要するに、キャリアは長期的なものであり、予想できないものだということだ。まっすぐ順調に進むことはまずない。ジグザグとまわり道をし、立ち止まっては動き、あまたの思いもかけないことに出会う。まじめに働く姿勢や能力は重要だが、運が果たす役割も大きい。

 

☑学生時代に何を学んでおくべきか

学ぶべき言語は中国語だ。あなたが働いているあいだに、中国は世界第二位の経済大国になる可能性が高い。専攻に関しては、バイオテクノロジーIT(情報技術)、ナノテクノロジーの三つの関連分野で学ぶことだ。

今後予想できるかぎり、これらの分野が市場にもたらす新たな治療方法、機械、部品などの製品やサービスは、社会やビジネスを大きく変革するだろう。

 

☑買収されたが、いやでたまらない

新たなオーナーが二つの会社を足しあわせたなかから最高の人材を選ぶときには、二つのことに注目する。能力と、新しい会社をよりよくしようという積極的な姿勢だ。間近で見てきた経験から一つ言えることは、会社は必ず、抵抗者より賛同者を手元に残し昇進させるということだ。たとえ抵抗者のほうが仕事のできる人だとしても。

 

☑58歳、まだ現役を続けたい

あなたには少なくとも一つの道が残されている。あなたを採用することでリスクがまったく生じないような会社を見つけることだ。言い換えれば、報酬はすべて歩合制の仕事。固定給はゼロかあってもごくわずかで、成功報酬をうけとるかたちの仕事を見つけることだ。あなたの経験と熱意があれば、飛び級でぐんぐん進級していけるはずだ。あなたに必要なのは、最初のドアを開くこと。

 

☑エグゼクティブ・コーチングの活用

優れたエグゼクティブ・コーチは実に貴重な経験を与えてくれる。あなたを直視して、誰も言わないようなことを言ってくれる。あなたがボスの場合にはことにそうだ。「あなたは、人の話をじっくり聞かない」「自分ひとりで行動しすぎる」「役員にへいこらするのに下の人には威張り散らす」など、耳の痛いことを素直に言ってくれる。そのあとは、聞き手のあなたの問題だ。価値の大きさはあなたの受容能力に応じて大きくも小さくもなる。

2010年12 月27日

NO.45-1(メインコラム)高校3年生に告ぐ”王道を歩め”

今週のテーマは「高校3年生に告ぐ“王道を歩め”」です。

週刊東洋経済(11月13日号)の記事をご紹介します。

 

【大学に入っても安定就職できるのは少数派】

大学入学(100人)→卒業できるのは88人→就職できるのは53人(卒業者の61%)→ 就職した会社に3年以上勤務37人(就職者の69%)  

 

どうですか?現在の日本の大学生。

入学した100人の内、安定就職できる人は37人というのが実態です。

 

マスコミはこうしたデータを捉え、“加熱する就活”を煽り、政府の無策ぶりを非難していますが、どちらも的外れです。

このデータが炙り出している本当の事実とは、志を持たず自分を磨く努力をしない若者が日本にはいかに多いか、ということです。

多くの大学生は自分の志を持つこともなく、その志を成就させるために真剣に勉強することもなく、自分が志望する会社がどんな人材を求めているのか真剣に検討することもなく、無為に大学生活を過ごし、漫然と就職説明会に参加し、不採用の数を重ねています。

 

なぜ採用されないかって?

会社の人事はそんな大学生を直ぐ見抜いてしまうからです。

私は高校3年生の君たちに“王道を歩む努力をして欲しい”と願っています。

 

その王道とは何か?

【王道その1】自分の志を建て、大学で何を学ぶかを決める。

【王道その2】大学に入れば人生で一番大切な4年間のモラトリアム期間があります。

この4年間を、建てた志を胸に抱き自分を磨き上げるための期間と心得る。

【王道その3】自分が活躍する土俵を強くイメージする。

 

ちなみに土俵は次の5つです。

(土俵1)日本人の、日本人による、日本人のための仕事 

(土俵2)海外国籍会社の日本市場開拓の仕事

(土俵3)日本国籍会社の海外市場開拓の仕事

(土俵4)ノウハウと技術を武器に知識労働者として世界を股にかけて仕事をする

(土俵5)コミュニケーションスキルを武器に接客業のプロとして世界を股にかけて仕事をする

※注意①土俵1以外は一定水準以上の語学力が求められる。

※注意②土俵4と土俵5には国籍の概念がない。

 

以上が。高校3年生の皆さんに伝えたかったことです。

 

これはアナタたちの先輩大学4年生を3000名面接してきた私からのメッセージです。

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Kimo  王道を歩め!!

2010年12 月24日

NO.44-3(NO.44-1関連その2)トランジションの出口

今回(44-1のメインコラム)の関連資料としてご紹介するのは、「生きる智慧 ブッダの人生哲学」(平岡 聡 著)です。

 

著者は『「他者との関わりの中で自己はどうあるべきか」という視点がないと、「自己は何ぞや」という問いは空しいものとなるでしょう』と述べています。

 

トランジションの出口でその”視点”、見えるかもしれませんね。

 

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                       「生きる智慧 ブッダの人生哲学」(平岡 聡 著)

  

☑(自己の存在)の規定は、必ず(他者の存在)を前提とし、自己の存在の中にはすでに他者の存在が入り込んでいます。

つまりわれわれは自己を直接認識しているのではなく、(他者という鏡に映し出された自己)、すなわち(他己)を自己として認識し、安心しているのです。これこそ「自己は他己に縁り、また他己は自己に縁って存在している」という縁起の関係であり、両者の関係は不可分なのです。

 

☑自己と他己とを引き離し、「自己とは何ぞや」と眉間に皺を寄せていくら考えても、答えは出ません。「他者との関わりの中で自己はどうあるべきか」という視点がないと、「自己は何ぞや」という問いは空しいものとなるでしょう。

 

☑仏教の根本思想である縁起を別の言葉で表現したのが「空」ですが、これはただ単に物事のありようを表現しているだけではなく、「苦も空である」ことを説くところに、その意義があると私は考えています。仏教という宗教を理解するキーワードは「苦」です。仏教はこの苦といかに向き合い、いかにその苦をなくすかを問題にします。

 

☑仏教の説く智慧とは何でしょうか。それは、仏教の根本にある「縁起」の自覚に基づいて発動する働きです。縁起とは「縁って起こること」、あるいは「何かを縁として生起すること」を意味します。

たとえば夫と妻、妻(夫)がいないのに「私は夫(妻)です」とは決していえないでしょう。このように「縁起の自覚」は、対立するものの間に存在する「境/仕切り」を取り除くように働きます。ですから、智慧は別名「無分別慧」とも呼ばれます。

 

☑では次に「縁起の自覚」に基づき、「自己と他者との間の境」がなくなると、人はどのような行動をとるようになるのでしょうか。これが慈悲です。

つまり自己と他者との間にある境が取れると、人は自分が幸せになるために他者を幸せにするようになります。無論、覚ってしまった人に「自分の幸せ」とか「他者の幸せ」とかいう区分自体は存在しないのですが。

 

☑幸せの感じ方のからくりを見ていきましょう。それは(あたり前の基準)と深く関わっています。仏教はあたり前の基準をどこに置いているかというと、「一切皆苦」です。つまり「人生は苦である」が出発点であり、そこにこそ仏教のあたり前の基準があります。

ここから出発すれば、「苦しくてあたり前、何事もなければ幸せ」という地平が開けてきますね。「何事もなくてあたり前、何か楽しいことがあって幸せ(なければ不幸せ)」という生き方とどちらが多くの幸せを感じられるかは一目瞭然です。

2010年12 月22日

NO.44-2(NO.44-1関連その1)トランジションの出口

今回「44-1(メインコラム)の関連その1」として、ご紹介するのは、「よく生き よく笑い よき死と出会う」(アルフォンス・デーケン 著)です。

 

著者は「年に何回かでも自分の価値観を見直して、新しいライフ・スタイルを創造していくのは非常に有益」と述べています。

 

私は「トランジションの時こそ、新しいライフ・スタイルを創造するチャンス」だと思います。

 

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              「よく生き よく笑い よき死と出会う」(アルフォンス・デーケン 著)

  

☑中年期以降は、時どき自分の価値観を再考し、はたして自分の人生の真の目的は何なのかと、もう一度問い直してみる必要があるのです。そのためには、現在、自分が大切だと思うことを、10項目くらい挙げて優先順位をつけてみるのも1つの方法です。

仮に40代のサラリーマン男性が、次のような10項目を挙げたとしましょう。

1.家族の団欒。2.自身の健康。3.家族の健康。4.仕事。5.息子の進学。6.貯蓄。7.ゴルフ。8.世界平和。9.日本経済の復興。10.新車の購入。

項目を書き出したら、この一週間のうち、それぞれの価値のためにどれだけ時間を使ったか振り返ってみるのです。このように、年に何回かでも自分の価値観を見直して、新しいライフ・スタイルを創造していくのは非常に有益です。

 

☑中年期以降の私たちの人生は、毎日が同じようなことの繰り返しになりがちです。この危機に対応するには、自分の中の潜在的能力の可能性を開発することが肝要です。平凡な毎日の繰り返しにあきあきしたのなら、それをつぎの新しい局面を切り開くための挑戦の始まりだと考えて、自分の潜在能力を開発するきっかけにするのです。

 

☑中年期の危機を乗り越えると、いよいよ「第三の人生」を迎えることになります。「第三の人生」というのは実はやっておくべき課題がたくさんあって、結構忙しいものなのです。その6つの課題をこれから提案したいと思います。

①手放す心を持つ。②許しと和解。③感謝の表明。④さよならを告げる。⑤遺言状の作成。⑥自分なりの葬儀方法を考える。

 

☑死後の生命の存在を厳密に証明することは、現在はもちろん、将来も、おそらく不可能でしょう。しかし逆に、死ですべてが終わってしまうということも証明不可能です。ただ、人類史上、死後の生命の可能性が絶えず主張され、信じられてきたのは事実です。

私はここで、哲学者としての立場から、これらの説を総合的に判断する「蓋然性(がいぜんせい)の収斂(しゅうれん)」というアプローチを示したいと思います。「蓋然性」とは「おそらくそうであろうという性質」という意味です。

いろいろの説には、「死後の生命が存在する可能性がある」という共通点があります。諸説の蓋然性は、この一点に向けて収斂していき、より高度な蓋然性を形成することが分かります。つまり、「死後の生命が存在する可能性は大きい」というわけです。

 

☑『新約聖書』に出てくる天国のイメージの中で、私が一番好きなのは、次の『ヨハネの黙示録』中の一節です。

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た(中略)『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』(21章1-4節)