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2011年3 月30日

NO.57-2(NO.57-1関連その1)[予言の書」

今回「57-1(メインコラム)の関連その1」として、ご紹介するのは、上野 千鶴子 著作の 「おひとりさまの老後」です。

 

著者は本の中で、次のように述べています。

 

「結婚してもしなくても、みんな最後はひとりになる。80歳以上になると、女性の83%に配偶者がいない」。

「家族はやがて去る。仕事も仕事仲間もいつかはいなくなる。そのあとに残るのは、友人たちである」。

 

これって「予言の書」?

 

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                                「おひとりさまの老後」(上野 千鶴子 著)

 

結婚してもしなくても、みんな最後はひとりになる。事実、65歳以上の高齢者で配偶者がいない女性の割合は55%と半分以上。うち、死別が46.1%、離別が3.5%、非婚が3.3%。これが男性だと配偶者がいないのは17%と少数派。80歳以上になると、女性の83%に配偶者がいない。

 

☑多くの女性にとって、子どもたちがひとり去り、ふたり去り、夫とふたりきりになり、そして夫を看とり・・・・・という長いプロセスになる。「ひとりになりたくない」「夫とふたりきりになりたくない」女性にとって、子どもは大事な資源。パラサイトの背後には、親の隠れた欲望につけこんだ子どものしたたかな計算がある。

 

☑入院中の病人も、施設に入っているお年寄りも、「自分の家に帰りたい」と訴える。「家に帰りたい」という高齢者のシンプルかつ切実なのぞみがかなえられないのは、なぜか。帰るはずの家に、家族がいるからだ。家族は、お年寄りが家に帰ってくるのを拒む。そもそもお年寄りを施設に入れることを決めたのも家族だ。とはいっても、家族を責められない。24時間同居では介護から逃げられない。涙をのんで選択したのだろう。

 

☑「家に帰りたい」という希望と、「家族といっしょに暮したい」という希望をとりちがえるから、ややこしくなるのではないだろうか。おひとりさまには、こういう苦労はない。自分の家は自分ひとりの家。帰るのに、だれに遠慮もいらない。自分の住んでいるすべての空間をひとり占めできる、それが、「おひとりさまの老後」の最低限のインフラだ。

 

☑洋子さんは40代になってから働きはじめたが、家計は夫の収入でやりくりすることを原則とした。彼女のように、「夫のカネはわたしたちのもの、わたしのカネはわたしのもの」という金銭感覚をもっている妻は多い。そして自分の収入はすべて自分の貯蓄にまわし、50代で自分名義の家を建てた。「これでいつでも離婚できる」とつぶやく妻に戦々恐々としているのは、夫のほうである。

 

家族はやがて去る。仕事も仕事仲間もいつかはいなくなる。そのあとに残るのは、友人たちである。シングルは自分の時間とエネルギーを、家族のために使ってこなかった代わりに、友人をつくり、それをメンテナンスするために費やしてきた。

メンテナンスのいらないのがほんとうの友人、というひともいる。だが、「何年も会わずにすむ」ような関係を、わざわざ「友人」とよぶこともない。ついでに言っておくと、メンテナンスのいらないのが家族、と思っている向きもあるようだが、これは完全にカンちがい。家族のメンテナンスを怠ってきたからこそ、男は家庭に居場所を失ったのだ。

2011年3 月28日

NO.57-1(メインコラム)「予言の書」

今週のテーマは「予言の書」です。

ヘクター・C・バイウォーター というイギリス人の海軍史評論家をご存知ですか?

彼が1924年(大正13年)に発表した「予言の書」は、日本では『太平洋戦争』というタイトルで翻訳され、当時の我が国でベストセラーとなっています。

予言の書」の内容は次の通りです。

 

「中国における権益問題でアメリカと対立した日本政府は、内政に対する国民の不満をそらす意図もあって、対米開戦を決意する。開戦当初、日本はアメリカより海軍力においてやや優位にあり、その優位を維持し戦局を有利に展開しようと、海軍はフィリピンに奇襲攻撃をかけマニラを占領し、西太平洋の制海権を握る。

しかし、生産力に優るアメリカが海上封鎖による持久戦法をとり、中ソ両国も反日に転じ、戦局は逆転する。そして艦隊主力をもって行なわれたヤップ島沖海戦でも日本は敗北し、アメリカはグアム島など南洋の島々を次々に占領し、日本側守備隊は全滅する。さらにマニラも奪い返される。 この間、ソビエトは樺太(からふと)に侵攻、これを占領し、中国軍は南満州を支配下におく。

ついに内閣は総辞職するなか、アメリカの爆撃機が東京上空に襲来し、爆弾を投下する。ここにいたって日本は、アメリカ側の講和勧告を受諾し、戦争は終結する」。 と。

 

ここまで史実に近い予言が太平洋戦争の開戦17年前の時点に発表されていたことに驚きを禁じ得ません。

そしてこの「予言の書」の内容、当時の多くの日本人が知っていたことも驚きです。

 

さて、「新予言の書」。こんな感じでしょうか。「新予言の書」の内容は次の通りです。

地球の極東に位置するGDP世界第40位の国「日本」は、50年前まで世界第2位の規模を誇る大国であった。生産人口の減少が顕著となり始めたその当時、世界中の識者たちから“明治維新の奇跡” “大戦後の奇跡” に続く3回目の奇跡を起こすことが出来るかと、注目を集めていたが、この国の政治家、官僚、マスコミ、国民ともに高度成長時代の既得権益にしがみ続けた結果、国の資産と活力とを食い潰してしまった・・・・・・・・・・・・・・。

 

このシナリオを修正するには、 “黒船(米国)” “GHQ(米国)” に続く3回目の侵入者は誰なのかを予言しなくてはなりません!!

それは中国でしょうか? 

それとも侵入者ではなく戦後最大の試練、東北関東大震災らの復活?・・・・・・。

 

眠れなくなりそうなので、この辺で失礼します。

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Kimo     戦後最大の試練を力に変えて!!

2011年3 月25日

NO.56-3(NO.56-1関連その2)道歌に見る日本人のDNA

今回(56-1のメインコラム)の関連資料としてご紹介するのは、サン=テグジュペリ の「人間の大地」です。

 

皆さんの中にも読まれた方が多い作品だと思います。

 

本文の中の次の一節に私は胸が熱くなりました。

 

試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

 

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                                       「人間の大地」(サン=テグジュペリ 著)

 

☑ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。

 

もっとも障害物を征服するには、人間に、道具が必要だ。人間には鉋(かんな)が必要だったり、鋤(すき)が必要だったりする。農夫は、耕作しているあいだに、いつかすこしずつ自然の秘密を探っている結果になるのだが、こうして引き出したものであればこそ、はじめてその真実その本然(ほんぜん)が、世界共通のものたりうるわけだ。

 

これと同じように、定期航空の道具、飛行機が、人間を昔からのあらゆる未解決問題の解決に参加させる結果になる。

 

ぼくは、アルゼンチンにおける自分の最初の夜間飛行の晩の景観を、いま目のあたりに見る心地がする。それは、星かげのように、平野のそこそこに、ともしびが輝く暗夜だった。

 

あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇(やみ)の大海原の中にも、なお人間の心という奇跡(きせき)が存在することを示していた。

 

あの一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星座に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。

 

それぞれの糧(かて)を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた。

 

中には、詩人の、教師の、大工さんのともしびと思(おぼ)しい、いともつつましやかなのも認められた。

 

しかしまた他方、これらの生きた星々のあいだにまじって、閉ざされた窓々、消えた星々、眠る人々がなんとおびただしく存在することだろう・・・・・・。

 

努めなければならないのは、自分を完成させることだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。

2011年3 月23日

NO.56-2(NO.56-1関連その1)道歌に見る日本人のDNA

今回「56-1(メインコラム)の関連その1」として、ご紹介するのは、カール・グスタフ・ユング 著作の「ユング名言集」です。

 

ユングは次のように断言しています。

人間にとって決定的な問いは「お前は無限という状況にかかわっているかどうか」である。それが人間にとって基準となる。 と。

 

今、国難とも言える大惨事に向き合い、全国民がこの基準を問われているのだと思います。

 

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                                   「ユング名言集」(カール・グスタフ・ユング 著)

  

人生の本質をつかめ

人間にとって決定的な問いは「お前は無限という状況にかかわっているかどうか」である。それが人間にとって基準となる。

無限の重要さを知っているときには、私は自分の関心を不毛で無意味な事物に向けることはできない。もし無限という状況を知らないときには私は自分だけがもっているとうぬぼれている特性のおかげで自分がこの世でなにがしかの人物になれたと主張する。その特性とはおそらく「私の才能」あるいは「私の美貌」といったものであろう。

ところが人はこうした特性を頼りにすればする程、それだけますます人生の本質がわからなくなり生活は全く不満足な有様となる。その人は視界がせまいためにやがて自分が中途半端な人間であることを知り いたずらにねたみや怨念に駆られることになる。

これに反しもし人がすでに自分の生涯の中で、自分が無限なる状況に接したと感じ、かつそれを理解したならば、その人のもろもろの願望や心がまえも変化する。

人はただ人生にとって本質的なるものを把握したときにのみ有効な生活をおくれるのであって、もし本質的なるものをもっていない場合にはその人の生涯は台無しになる。

 

 

内なる声がおしえる自分の使命

豊かな個性の持主は常に使命をもっており、しかもそれを信じている。使命遂行の原動力となるのは、自分の内なる声に語りかけられることだ。

 

 

内なる声のもつ危険性

内なる声を聞くことにも問題はある。これにはひそやかなおとし穴や、わななどが仕かけられていることがあるからだ。内なる声にはしっかりとした安全装置が設けられる必要がある。さもないと、ちょうど人生そのものがきわめて危険であり、邪道に陥りやすいのと同様に、危険かつ不確かな事態になるおそれがある。しかし自分の人生で失敗などするまいとする者は、けっして成果を得ることはない。

個性の育成は、ひとつの冒険である。内なる声の霊(デーモン)は、実は最高の危険と不可欠の援助を同時に意味している。このことはまさに悲劇的であるとともに、必然的であり論理的である。

 

 

文化は意識の拡大

あらゆる文化は自己意識が拡大されることだ。

 

 

完璧ではなく充実した生を求めよ

私はけっして完璧な人間になるといった妄想を抱いたことはない。私の根本原理は次のとおりだ。「後生だからどうか完璧な人間などにはならないでくれ。たしかにその際個々の状況によるという制約はあるが、あらゆる手段を用い充実した生き方をするべきだ」

2011年3 月21日

NO.56-1(メインコラム)道歌に見る日本人のDNA

今週のテーマは「道歌に見る日本人のDNA」です。

道歌(どうか)は、「道徳、教訓など人の生き方を分かり易く説いた短歌で、その多くは江戸時代に流行した「作者:未詳」の作品です。

歌われている内容は、現代においても当てはまることが多く深遠さを感じます。

 

私は「道歌」のことを奈良、薬師寺での管主(当時)安田 暎胤(やすだ えいいん)氏の法話で知りました。

その法話の中で、安田管主(当時)は1つの道歌を取り上げて“執着心”について法話しました。

その道歌とは、

『 千両箱  富士の山ほど積んだとて  冥土の土産に  なりはすまいぞ 』 (作者:未詳)

この世で、千両箱を富士山の高さほど持っていたって、あの世には持っていけないよ。という歌です。

「これは俺のものだ」。 

「俺は もっと上の地位を もっと沢山のお金を 手にいれるんだ」。

と頑張ったところで手に入れたモノはすべて借物。所詮80年のレンタルだよ。という人の世の真理を説いた歌です。 

 

では次に “持ちつ持たれつ” の精神を取上げた道歌を2つ 紹介させていただきます。 

『 世の中は  持ちつ持たれつ  立つ身なり  人という字を  見るにつけても 』 (作者:未詳)

『 人は皆 持ちつ持たれつ 世を渡る 一人離れて 保つべしやは 』 (作者:未詳)

社会保障制度が無かった時代、庶民は “持ちつ持たれつ”という相互扶助の精神の大切さを歌にして戒めてきました。

その江戸時代から 明治、大正、昭和、平成 と時を経た今、今回の大惨事で 過去にないレベルの沢山の義援金や物資が全国から届けられているそうです。 

1000年に一度という国難に直面した私たちが、「今回被災した方々の悲しみはけっして人事(ひとごと)ではない」。 という思いを持った結果ではないかと私は思います。

 

“持ちつ持たれつ”というDNA!!  時空を超えた味わいを感じます。 

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Kimo“持ちつ持たれつ”の精神は日本人の誇るべきDNAだ!!