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2011年6 月29日

NO.69-2(NO.69-1関連その1)6限目授業”愛校心”

今回「69-1(メインコラム)の関連その1」として、ご紹介するのは、京都 大仙院 前住職の尾関 宗園(おぜき そうえん)著作の 「新・いま頑張らずにいつ頑張る!」 です。

 

私は修学旅行で聞いた 氏の説法を思い出します。

 

氏は 「成功も失敗もできる人生を喜べ」と説いています。

 

私は授業で子供達に「人生を中学時代と置き換えて」話しました。

 

Line

             「新・いま頑張らずにいつ頑張る!」(尾関 宗園 著)

 

☑道(一休和尚)

この道を行けば、どうなるのか。危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けば分かるさ。

 

☑今、この瞬間こそが出発点

人生とは、毎日が訓練である。わたくし自身の訓練の場である。失敗もできる訓練の場である。生きているを喜ぶ訓練の場である。今この幸せを喜ぶこともなく、いつ、どこで幸せになれるか。この喜びをもとに全力で進めよう。わたくし自身の将来は、今この瞬間、ここにある。今ここで頑張らずに、いつ頑張る。

 

☑お天道さまと米のメシはついて回る

本当に偉大なヤツは、己の身体の中にある“生命”なのだ。そこに気づいた奴こそ偉い人だ。そういう人は、どんな仕事だってできるし、どんな場所でも嬉しいし、どんな仲間とでも楽しい。どこにいても、お天道さまと米のメシはついて回るのだから。

 

成功も失敗もできる人生を喜べ

大仙院の庭園には蓬来山と名付けた枯山水がある。それは、鶴と亀が一緒に住んでいる世界だ。共にこの一つの体に宿っていて、失望することも喜ぶこともできる可能性をもって、私達はこの世に生まれ出たのだ。そう考えれば、失敗する自由もあり、成功する喜びもあるのだ。どんな事態にも、クヨクヨしたりウロウロしたりすることはない。いつも喜びの人生なのだ。

 

☑心の中のガラクタを捨てよ

何のために生まれたのであろうか、と思い煩う自分。これが人生の淀みである。本来「ああもできる、こうもできる」、つまり、失敗も成功もできるという可能性を踏まえて、自然の中に参加することを許された喜びの自分が、“必要あって生まれた自分”と取り違えている、嘆かわしい姿だ。

 

☑偽りの自分を売るな

食えなくなることを恐れるな。人間、食えなくなったら、黙っていても、身体を動かして食うように本来できている。心配せんでもいいのに心配をして、肝心要の今日の自分を駄目にしていることを恐れよ。この会社をやめてしまったら、明日から食えない生活になる。だから、いやなことでもペコペコせんならん。ペコペコすることが悪いことではないが、明日の食を思いわずらって、偽りの自分を売っているのが悪いのだ。

 

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