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2012年3 月30日

NO.101-3(NO.101-1関連その2)楽しむ境地

今回、「101-1(メインコラム)の関連その2」として、ご紹介するのは、「兼好法師 従然草」 (NHKテレビテキスト 萩野 文子 著)です。

 

萩野さんは、テキストの中で、

兼好にとっていちばん楽しいひと時は「つれづれ」と「ものぐるほし」の境地の中で随筆書きに 没頭していた時間だったのではないか。と述べています。

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「兼好法師 従然草」(NHKテレビテキスト 萩野 文子 著)

■では、いよいよ、いちばん気になる問題を述べたいと思います。『従然草』の最大のポイントである、「つれづれ」と「ものぐるほし」という心境についてです。有名な序段を見ていただきましょう。

『つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(序段)』

「つれづれ」というのは、この随筆のタイトルにもなっているキーワードですが、ふつうは「暇でしかたがないさま」とか、「退屈」「手もち無沙汰」などと訳されます。しかし、私としては少々異論があって、「つれづれなるまま」とは、そのような受動的な状態ではなく、あえて何もせず、積極的に自分の心の内側に向かい合い、空想の世界に遊ぶことを選び取っている状態・・・つまり、瞑想に近い状態・・・ではないかと理解しています。

■では、もう一つのキーワードである「あやしうこそものぐるほしけれ」とは、どういうことなのでしょうか。「ものぐるほし」は、「つれづれ」と並んで訳し方がむずかしく、解釈がさまざまあるのですが、私自身は、これはものを書く人独特の恍惚感で、書いているうちに筆が走ってだんだんと興に入るような感じだと思っています。先ほどもいいましたように、兼好の目の前には不隠で閉塞した時代相があり、その中で兼好は自分の美学や価値観を真剣に探り、しかし、生きていくためにはある程度の妥協もしなければならないという両面性を抱えていました。兼好はそれほど悲観的な性格ではなかったと思いますが、才能豊かだっただけに、「もう少し高い家柄に生まれていれば」とか、「もっと違う時代に生まれていたら」といった鬱屈(うっくつ)を抱いていなかったと言えば嘘になるでしょう。そうしたフラストレーションが回り回って、兼好を「書く」という行為に駆り立てた側面も、大いにあったのではないでしょうか。そして同時に、ほかならぬその「書く」という行為が、兼好のフラストレーションを解消することにもなっていた可能性が大きいと思うのです。それは、いってみれば、書くことによる浄化(カタルシス)です。

ここで、『従然草』の序段を私ふうに訳してみますと、次のような感じになります。

『なすこともなく所在ない寂しさにまかせて、終日、硯(すずり)にむかって、心に浮かんでは消えるとりとめのないことを、何ということもなく書きつけていると、われながら妙に興が湧いてきて、取り憑かれたようにもの狂おしい気さえすることである。(序段)』

マラソンでいうところの、ランナーズ・ハイのような陶酔状態です。書くことがおもしろくて仕方がないという、その状態こそが「ものぐるほし」です。兼好にとっては、現実の憂さを忘れて書くことに没頭する時間が、人生でいちばん楽しいひと時だったのではないか。つまり『従然草』という名随筆は、動乱と無常の世に生を享けた不遇の好事家の「つれづれ」と「ものぐるほし」の境地の中から生まれたのです。

 

 

2012年3 月28日

NO.101-2(NO.101-1関連その1)楽しむ境地

今回、「101-1(メインコラム)の関連その1」として、ご紹介するのは、「キャリアカウンセリング」(宮城 まり子 著)です。

 

「ライフキャリアに必要な四要素は、ワーク、楽しみ、学習、愛(Work、Play、Learning、Love)である。」だそうです。

 

“楽しみ”は人生の四大要素の一つなんですね。

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「キャリアカウンセリング」(宮城 まり子 著)

 

今や人生80年時代を迎え、だれもが単に長いだけの人生ではなくその内容が豊かであること、充実していること、そして楽しいことを望んでいる。しかし、現実にわれわれが日々生活する現在の社会経済環境は、いまだ経験したことの無い厳しい現実の姿として目の前に横たわっている。

筆者は臨床心理士として数多くのクライアントのカウンセリングを担当するなかで、いかに個人にとってキャリア問題は大きな位置を占め、キャリアに関する葛藤が非常に大きな心理的なマイナス影響をもたらすかを痛感した。このため米国カリフォルニア州立大学教育学科の大学院、キャリアカウンセリングコース修士課程に留学し、キャリアカウンセリングの基礎から学習したという経緯をもつ。アメリカの大学には社会人が数多く在籍し、社会に出てからも学習を継続し自らを絶えず磨き育て、キャリア開発・能力開発を主体的積極的に行う人々を目の当たりにした。「キャリア開発は自己責任」、「自分の雇用は自分で守る」という前向きな厳しい凛とした人生態度がうかがえ、日本人とは異なる個人のキャリア意識の差を痛感されられた。こうした個人のキャリア形成とキャリア開発に対する主体的・自律的意識、姿勢・具体的行動を育成し、個人が実際にその効果(能力)を社会においていかんなく発揮できるようにするためには、個人を側面からサポートする支援体制の整備が社会、企業・組織、教育現場において欠かせない。企業・組織においては急に手のひらを返したように「キャリア開発は自己責任」と社員をただ突き放すだけで、キャリア自律を温かく支援し見守る体制やシステムを用意しなければ、社員をただ不安にさせるだけでかえってモラールダウンを招きかねないだろう。そのためには「キャリア開発のパートナーシップ」を結び、相互にWinWinの成果が得られるようなキャリア支援システム、キャリアカウンセリングサービスを提供することが必要である。

「キャリア」は仕事のみを指すものではない。キャリアは個人の「人生・ライフ」そのものである。個人の顔がそれぞれ異なるように、個人のライフ・キャリアも多様であり、一概に「良いキャリア、悪いキャリア」もなければ「優れたキャリア・劣ったキャリア」もない。大切なことは自分の人生に対する価値観、生き方の価値を何に置くかである。他人との外的条件(地位、収入、職種・・・)などの比較の上に成り立つものでないことは明らかである。こうした観点から人生を楽しく豊かに充足するためには、どのような状況に遭遇しても「自らとそのライフキャリアを最後まで大切に育てること」に他ならない。最後にもう一度ライフキャリアに必要な四要素を振り返ってみよう。それはハンセンも指摘するようにワーク、楽しみ、学習、愛(WorkPlayLearningLove)である。これを絶えず意識しながら、「自分らしさ」を常に大切にし、自分だけのオリジナルなライフキャリアを創造したいものである。

 

2012年3 月26日

NO.101-1(メインコラム)楽しむ境地

今週のテーマは「楽しむ境地」です。

仕事においても家庭においても、“楽しい”と感じられたら、それは理屈抜きで“いいね”と思います。

エバーノートで確認してみると、孔子も“楽しい”が“一番いいね”と言っています。

「子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者。」

「子曰わく、これを知る者はこれを好む者に如かず。 これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

【訳文】

孔子は言った。

あることを理解している人は、それを好きな人にはかなわない。

あることを好きな人は、それを楽しんでいる人にはかなわない。

 

ではどうしたら“楽しんでいる人”となれるのか? もっと言えば“楽しむ境地”とはどんな世界なのか?

このテーマ、結構 奥が深くて 興味が尽きません。

 

■例えば 孔子 はこんなことも言っています。

どんな逆境に遭っても、自らを信じて心穏やかに道を楽しむ。

そのためには「これが天命だ」と受け入れることが大事なのである。

すると霧が晴れるように視界が開けてくるものである。と。

 

■先日、知り合いの牧師さんに“楽しい”とはどんな境地なのか?とお尋ねたところ、

「人生で起こるさまざま出来事や出逢いは、全て神様が自分を成長させるために仕掛けてくださっているのだ、と考えることです。そう考えると生きていることが“楽しい”と感じられます。」と教えて下さいました。

 

■昨年夏、京都 大仙院の尾関宗園 和尚に“楽しい”とはどんな境地なのか?とお尋ねたところ、

「どんな事態になっても、クヨクヨしたりウロウロしない。お天道さまと米のメシは必ずついて回るから。それを信じて成功も失敗もできる人生を楽しみ喜びなさい。」と教えて下さいました。

 

天命、神様、お天道さま、

自分を遥かに超える大きな存在に身を委ね 何があっても心静かにゆったり構えることが  “楽しむ境地”に近づける秘訣のようです。

 

私は“楽しむ境地”を味わって生きているのだろうか?

自問自答したところ、答えに詰まってしまいました(苦笑)。

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Kimo


“楽しい”が一番!

 

 

2012年3 月23日

NO.100-3(NO.100-1関連その2)街道をゆく”肥後のみち”

今回 メインコラム(No.100-1)の参考図書としてご紹介するのは、「左脳思考と右脳思考を 融合させる」(ダニエル・ピンク 著)です。

 

ダニエル・ピンク氏は言います。

 

人が追求せずにはいられない第三の幸福は、意義の追求である。自分が最も得意とするこ とを知り、それを自分以外の何かに生かすことだ。

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「左脳思考と右脳思考を融合させる」(ダニエル・ピンク 著)

 

 

 

 

 

過去150年を「三幕仕立てのドラマ」に例えてによう。

第一幕は「工業の時代」だ。

 

第二幕は「情報の時代」である。

そして第三幕が「コンセプトの時代」である。

中心となる登場人物は、クリエーターや他人と共感できる人たちである。彼ら彼女らの際立った資質は、右脳思考を身につけている点だ。 

 

この新しい時代を動かしていく力は、これまでとは違った新しい思考やアプローチであり、そこで重要になるのが「ハイ・コンセプト」と「ハイ・タッチ」である。 

 

 

ハイ・コンセプトとは、「新たなパターンやチャンスを見出す能力」、「人々を説得させる話のできる能力」、「一見ばらばらな概念を組み合わせ、何か新しい構想や概念を生み出す能力」と定義できる。ハイ・タッチとは、「他人と共有する能力」、「人間関係の機敏を感じる能力」、「みずから喜びを見出し、またほかの人々が喜びを見つける手助けをする能力」、そして「ごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力」といえる。

 

 

 

コンセプトの時代においては、全体思考、すなわち左脳と右脳の両方を働かせて考えることが必要になる。そして、左脳思考と右脳思考が融合した「全体思考」を身につけるには「6つの感性」に磨きをかける必要がある。

 

6つの感性》

【① デザイン】

デザインは実用性(左脳思考)と有意性(右脳思考)の組み合わせである。

【②物 語】

ビジネスで成功するには、ビジネス知識とストーリーテリングを組み合わせる力が必要なのだ。

【③全体の調和】

全体像を描き、一見無関係なもの同士を結びつけ、印象的で新しい全体思考を構築する能力である。

【④共 感】

EQの提唱者ゴーマンが、体系的な知識やスキルよりも、共感や思いやりといった情緒的な能力の方が重要であると訴えたが、彼の主張は今や常識化している。

【⑤遊び心】

冷静でまじめであることを能力の基準とするのをやめて、五番目の感性「遊び心」を高めるのだ。

【⑥生きがい】

人が追求せずにはいられない第三の幸福は、意義の追求である。自分が最も得意とすることを知り、それを自分以外の何かに生かすことだ。

2012年3 月21日

NO.100-2(NO.100-1関連その1)街道をゆく”肥後のみち”

今回 メインコラム(No.100-1)の参考図書としてご紹介するのは、「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」(NHKテレビテキスト ロジャー・パルバーズ 著)です。

 

相手が幸福にならないと自分も幸福にならない。

 

賢治はそう考えました。

 

宮沢賢治の幸福論です。

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「宮沢賢治 銀河鉄道の夜」(NHKテレビテキスト ロジャー・パルバーズ 著)

 

 

 

 

 

 

 

■賢治が大切にしたことは、他人の悲しみを十把一絡(じつぱひとから)げにするのではなく、その一人に向き合って、その人の悲しみを聞きなさいということです。そしてそれを、自分の責任として感じ、その人のために何かをする。そういう小さな善意を、ほんとうに大事にした人だったと思うのです。「雨ニモマケズ」の詩でも、それはうかがえます。この詩には大切な部分がたくさんありますが、強いて重要なキーワードを探すなら「行ッテ」という言葉だと思います。ちょうど、この部分ですね。

 

 

東ニ病気ノコドモアレバ

 

行ッテ看病シテヤリ

 

西ニツカレタ母アレバ

 

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

 

南ニ死ニサウナ人アレバ

 

行ッテコワガラナクテモイイトイヒ

 

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

 

ツマラナイカラヤメロトイヒ

 

 

ただ口先で相手の幸せを祈るのではなく、自分の体を使って相手のためになにかする。そうしないと相手は幸福にならないし、相手が幸福にならないと自分も幸福にならない。賢治はそう考えました。「行ッテ」という言葉は、彼の生涯を見事に象徴する大切な言葉だと僕は思っています。

 

 

 

■カムパネルラという人物は、『銀河鉄道の夜』のなかであまりしゃべりません。ほとんどのセリフは、ジョバンニと他の人たちです。しかし、そのなかでカムパネルラがひとつ大切なセリフを言います。

誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。

 

 

カムパネルラの場合、人の命を救うためには自分の命を捨てるという、そういった自己犠牲が彼の「ほんとうのいいこと」として描かれました。では、私たちがみなカムパネルラのような態度を取れるかというと、それはできないし、賢治のように自分の身を粉(こ)にして相手に尽くせとは言いません。みんながみんな、賢治の真似ができるわけではないし、相応の財や力を持っているわけでもありません。少なくとも僕にはできない。しかし、そこで「自分は無力だ」とあきらめてしまってほしくないのです。そのためには、世界を自分なりにとらえることが必要です。そこから、自分にできることはなにかと問い、実際の行動に移していく。これこそが、自分の信念と使命に短い生涯を燃やした宮沢賢治が、二十一世紀の今を生きるすべての人に送るメッセージなのではないかと思っています。