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2012年10 月26日

NO.127-3(NO.127-1関連その2)向き合わない

今回、(127-1のメインコラム)の関連資料としてご紹介するのは、私の大好きな1冊、「人生の実力 2500人の死をみとってわかったこと」(柏木 哲夫 著)です。

 

柏木さんは「死を自覚した人は、あることに気づく人が多い」と言います。

 

「人生の実力 2500人の死をみとってわかったこと」(柏木 哲夫 著)

 

☑私はホスピス医として、患者さんからたくさんのことを教えられた。その第一は、生の延長線上に死があるのではなくて、私たちは刻々死を背負って生きている存在だということである。(何度お聞きしたことか「自分がこんなに早く癌で死ぬなんて計算外である」)

 

☑人生には三つの坂があるとよく言われる。上り坂・下り坂のほかに、「まさか」という坂だ。この「まさか」という現象に私は「矢先症候群」という名前をつけた。多くの患者さんの死に接していると、したいことはそれが出来る時にしておかないと、いつ「矢先症候群」に陥るかわからないとつくづく思う。(何度お聞きしたことか「主人が定年したら、夫婦でゆっくりと温泉にでも、と思っていたその矢先に主人が癌になった」)

 

☑この機会を借りて、皆さんに二つのことをお勧めしたい。それは誕生日に死を思い、結婚記念日に癌を語り合うということである。今は二人に一人は癌になる時代である。三人に一人は癌で死ぬ時代である。となれば、夫婦のどちらかが癌になる確率も、どちらかが癌で死ぬ確率も非常に高い。

 

☑「死」を自覚した人は、多くの人が「自分にしてもらったこと」と「自分がしてあげたこと」を比較してみると、「自分にしてもらったこと」の方がはるかに多い、ということに気づく。結果、「人生最期の成長」へと結びつくのではないかと思う。

 

☑ホスピス医として、その臨床経験を通し、多くの「人生の実力者」と呼べる人に会ってきた。苦況の中にも、生きている証を見ることができ、その状況を幸せと思えるかどうかで、人間の実力が決まる。ホスピス医としては、客観的に見れば、幸せからほど遠い人生の終わりの時に「幸せな人生でした」と言って亡くなった67歳の男性を思い出す。

 

☑死を自覚した時、死んだらどうなるのかは、患者さんにとってはとても大きな問題になる。死後の行先がはっきりしていることは、大きな安心感である。我々の調査によると、「死の受容」を一番しっかりできるのはクリスチャンである。仏教と、特に信仰するものは何もありません、と答えた人は、死の受容に差がない。それは、やはり「死後の行先がはっきりしていない」からではないかと思う。

 

☑臨終の時に、家族が患者にかける言葉、多くはないその一言に、これまでの双方の関係が凝縮して表れるように思う。自分の臨終の時、家族がどんな声をかけてくれるだろうか。少なくとも臨終前に、するべき和解はしておくことが必要である。

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