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2012年10 月31日

NO.128-2(NO.128-1関連その1)誰にも止められない

今回「128-1(メインコラム)の関連その1」として、ご紹介するのは、「判断力と決断力」(田中 秀征 著)です。

 

「志」がなければ判断の基準を持たないも同然。

 

田中が言うとおり、今の政治家は「志」が低いのでしょう。

 

「判断力と決断力」(田中 秀征 著)

 

☑どんなに良い判断をする人でも、それがタイミングよく実行に移す決断ができなければ、何の意味もない。逆に決断ができても肝心の判断が間違っていれば、一層大きな災厄をもたらすことになる。このように指導者にとって判断力と決断力は全く異なる資質である。 判断力は、経験や学習によって強化することが可能だが、決断力は必ずしもそうではない。生来の性格、使命感や志の強さ、あるいは功名心などによって大きく左右されるものだ。

 

☑もしもチェンバレンが自己の判断力の不足を自覚していたら、もしも、グラディエが自己の決断力の不足を自覚していたら、ミュンヘン会議は全く違う展開になったであろう。 なぜなら、二人は自分の資質を補い合うことに努力を傾けたはずだからである。 しかし、判断力に優れた政治家は、自己の決断力の不足に気がついていてもそれを隠そうとするものだ、そして、決断力に優れた政治家は、ほとんどの場合、自分の判断力の不足に気がつかない。そのことが歴史に取り返しのつかない惨劇を招くのである。

 

☑チャーチルやドゴールの例で理解できるように、優れた判断や決断は、「組織による制約」を突破できる人によってもたらされる。組織の利益に合致することを前提とした判断や決断は、危機や混乱を乗り越えることができない二流のものである。 もちろん、ドゴールにもチャーチルにもその政治生涯を通じて多くの判断ミスがあり、失敗もあった。ただ、第二次世界大戦が開始されてからは、基本的な判断ミスはない。それは両者が何よりも、ナチス・ドイツの本性を正しく判断できたからである。そしてその撲滅を最優先の使命としていたからこそ、両者は重大な決断を即座に、しかも正しくすることができたのだ。

 

☑石橋湛山の“判断”は常に、借り物ではなく独創であった。「私が、いまの政治家をみていちばん痛感するのは、『自分』が欠けているという点である。『自分』とはみずからの信念だ。政治家で最もつまらないタイプは、自分の考えを持たない政治家だ」。

 

☑自分が欠けていれば独自の判断ができるはずがない。湛山が「自分」というのは、「志」と置き換えてもよい。「志」がなければ判断の基準を持たないも同然。判断、少なくとも一貫した判断は一貫した志から生まれるものだ。志の他に、判断を促すもう一つのものは“野望”である。王道か覇道か、それを見極めるには指導者への観察が必要である。

 

☑高杉晋作の判断力と決断力は日本史上でも特筆に値する。その天性の資質はともかくとして、やはり彼の地位に対する徹底した無欲さが澄みきった判断と決断を可能にしたと言わざるを得ない。危機の時代の大勝負は、無欲さの度合いが勝敗の帰趨を決めるのである。

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