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2013年4 月21日

NO.146-1(メインコラム)人事評価制度(Ⅱ)

今週のテーマは先週に引き続き人事評価制度の2回目です。

 

はじめに現在私たちが活用しているアメリカ産「人事評価」が抱えている課題を整理します。

それは次の2つです。

【課題 その1】

「そもそも目に見えにくい“人の能力”をどうやって捉え、それを抽象的な評価基準にどうやって落とし込むのか?」という難しさです。

 

【課題 その2】

「そもそも生もので経年変化する“人の能力”のどの瞬間を捉え、それを静態的な評価基準にどうやって落とし込むのか?」という難しさです。

 

ではなぜこのアメリカ産の人事制度が、こうした根源的課題を抱えながらも、戦後60年近くの間、日本の組織で活用されてきたのでしょうか? 

私は次の2つの理由ではないかと考えます。

 

【問題覆い隠し説】

「戦後の高度経済成長が、制度の歪みを吹き飛ばしてきた」という理由です。

1945年から1985年まで40年の間、人口が毎年100万人前後(年齢が若返りながら)増加する、という超ボーナス時期が続いたことが、この説のバックボーンとなっています。

要するに多少の差はあっても皆んな給料が上がったので多少の不平不満は吹き飛ばされたのです。

 

【フェルマーの定理説(難問中の難問に誰も手を出せなかった)】

この説の裏を取るために人事の専門家と称する人達がこれまでこの問題にどう向き合ってきたのか、我が家に50冊ほどある人事関連の書籍の中から「人事評価の解説本」をヒックリ返してみました。

あらためて気が付いたのは、どの本も多少の表現方法の違いはあれ、書いていることはほとんど同じ内容でした。そして何より凄いのは、大前提となる(1)です。要するに難解で誰も手が出せなかったのです。

 

(1)「人事には正解がない」と心得えよ。   

人が人を評価すると言うことは、つまるところアナログ的で主観的な判断結果に基づくことは避けられない。必要なことは少しでも納得性を高められるよう努めることが肝要。

 

(2)あくまでも事実に基づいて評価せよ。  

部下の日常での職務遂行状況を十分に観察し、記録を取る。 好き嫌いによる印象評価や価値観の相違による人物評価を避け、あくまで事実に基づき判定する。

 

(3)逆算評価をしてはならぬ。  

初めに総合評価で序列を決め、その結果に基づき個々の評価項目の点数の辻褄を合わせる行為を避け、個々の評価の積み重ねの結果を総合判定とする。

 

(4)次の各エラーに気を付けるべし。

ハロー効果、

寛大化効果、

中心化効果、

対比誤差、

論理的誤差

 

どうでしたか2回目。

役に立つヒント、何かありましたか?  

ありませんよね(苦笑)。

2013年4 月13日

NO.145-1(メインコラム)人事評価制度(Ⅰ)

今回から3回シリーズで、古今東西 人類永遠のテーマ、矛盾と苦悩と勘違いに満ちた「人事評価制度」について考えてみたいと思います。

 

今回はその第1回目として、「人事評価制度」の生い立ちも含めて簡単におさらいをします。

 

まず人事評価制度の評価技法について、

人事評価の技法は、評定尺度法、チェックリスト法、序列法などいくつかありますが、その中で一番 ポピュラーなのは皆さんお馴染みの評定尺度法です。

評定尺度法は、「極めて高いレベル」から「極めて低いレベル」までの尺度を用いて主に「保有する能力」を評価する技法で、現在 日本の多くの企業や官庁で利用しています。

この評定尺度法の生い立ちは、戦後、日本の人事院が、アメリカ連邦公務員の勤務評定制度を取り入れたのが始まりですが、その後本家のアメリカ連邦公務員の制度は、 「評定尺度法は、評価基準が抽象的で曖昧となり、評価者の主観と恣意性が入りこみやすいため、評価結果に被評価者が不満を表明した場合、それを納得させることが困難である」との理由により、「チェックリスト法」(望ましい、あるいは望ましくない職務行動を文章化し、選択させる方法)を加味した技法に改正しました。

 

このチェックリスト法の1つとして、ハーバード大学のマクレランド教授らがアメリカの国防省の外交官向けに開発した、ハイパフォーマの「意図ある行動」を評価する技法、コンピテンシー制度があります。

日本でも2000年以降、評定尺度法の行き詰まり感から、コンサルタント会社の薦めに従って導入する企業が増えてきました。

導入した企業ではいきおい行動要件の具体性を重視するあまり「行動要件が精細になりすぎ、結果 活用しにくなる」という新たな問題が起こりましたが、最近ではその揺り戻しで抽象度の高いものに修正する企業が増えてきています。

一方、評定尺度法の方もコンピテンシーの影響を受け、最近では評価要素に「~している。」「~する。」などの表現を使い「行動評価的」要素が加わってきました。

 

次に人事制度の評価方法について、

人事評価の方法には、「絶対評価」と「相対評価」があります。

現在、日本の多くの企業や官庁では予算枠遵守のため、「相対評価」を採用しています。

1次評価の時点で「絶対評価」を採用している組織でも、最終評価では「相対評価」で調整を行っています。

この「相対評価」が引き起こす最大の問題は何でしょうか?

それは2次評価以降の「相対評価」による「調整」」の結果により、1次評価者と被評価者との間で握った評価根拠の論理性が失われることです。

その結果 被評価者から不満が出た場合、その解消が難しくなります。

ちなみに米国連邦公務員の勤務評定制度は、78年の公務改革法にもとづき、「相対評価により人間の能力を“無理やり”分布に当てはめる分布制限は、不合理かつ不公平である」との理由により「相対評価」が廃止されました。

 

ではここで問題です。

ある会社の「フィードバック場面」をイメージして下さい。

 

課長が課員のA君に1次面談をしています。

 

A君自身は下記2つの評価項目で

判断力: 極めて高いレベル(5・4・3・2・1)極めて低いレベル

創造力: 極めて高いレベル(5・4・3・2・1)極めて低いレベル

2つとも「5」を付けました。

 

課長との1次面談の結果、 A君は、来月二人目の子どもが生まれる中、来年はなんとしても現状+αの給料額を確保したいとの思いから粘って課長に反論しましたが 最後はこれ以上言い争っても詮無いことだと諦め 不承不承ながら2項目ともに「4」で了承しました。

 

ところがその後の全社での「相対調整」の結果 A君の最終評価は2項目とも「3」で決定しました。

 

さて、アナタがこの課長の立場だったらA君とのフィードバック面接に どのような考え方で臨みますか?

2013年4 月 6日

NO.144-1(メインコラム)ちょっと好奇心

今週のテーマは「ちょっと好奇心」です。

 

先日 吉祥寺の映画館で「※レ・ミゼラブル」を観て来ました。

※ヴィクトル ユーゴー原作

ここで有名な前半のハイライトシーン「銀の燭台の場面」を振り返ってみます。

 

飢えた家族のためにパン一切れを盗んだ罪で19年の刑に処され服役させられた主人公のジャン・ヴァルジャン。

その彼が19年の服役を経て仮釈放されるが 元服役者というレッテルを張られ 行く先々で冷遇され、寒空の下 ついに行き場を失う。

そんな彼を、ミリエル司教は教会に迎え入れる。

しかし、その夜、ジャン・ヴァルジャンは教会の銀の食器を盗み、逃亡してしまう。

翌朝、彼を捕らえ教会に連行した憲兵を前にしたミリエル司教は、ジャン・ヴァルジャンに向かってこう言います。

ああ、よくきなすった!私はあなたに会えて嬉しい。ところでどうしなすった、私は昨晩あなたに燭台もあげたのだが。あれもやっぱり銀で、二百フランくらいにはなるでしょう。なぜあれも食器といっしょに持って行きなさらなかったかな?

と言いながら“銀の燭台”をジャン・ヴァルジャンに差し出ます。

彼を放免した憲兵達が帰った後、2人きりになったミリエル司教は彼に近づき低い声でこう言います。

忘れてはいけません。決して忘れてはいけませんぞ、この“銀の食器”と“銀の燭台”は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことを」  

 

どうです?

こんなことされたらジャン・ヴァルジャンでなくとも驚いて言葉が出ません。

人を許すとはこういうことなのか。

人を信じるとは、人を愛するとはこういうこういうことなのか。と

誰もがこの“忘れかけていた真理”に心打たれます。(私も映画のこのシーンで涙が溢れました)

 

さてここから本題です。

 

このセリフを司教という立場の人物に語らせた原作者ヴィクトル ユーゴーの意図は何だったのか?

国民の90%以上がカトリック信者だった当時のフランス国民がこのセリフから受けたメッセージは何だったのか?

 

ちょっと好奇心が湧き起こり、 司教という職位の教会におけるヒエラルキーと役割を調べてみました。

 

Pope(教皇)1名 :位階は司教。枢機卿会で教皇を選ぶ(コンクラーベ)。神の代理人。

Cardinals(枢機卿)95名 :位階は司教。司教の叙階を受けた者から教皇が選ぶ。枢機卿会を構成。

Archbishops(大司教)718名:位階は司教。教区規模により行政上定められた職掌で位階ではない。

Bishops(司教)2739名:位階は司教。神の制定に基づき付与された聖霊によって※使徒の座を継ぐ者(教会法)。※使徒とはイエス・キリストの12人の高弟

Priest(司祭)41万人:位階は司祭。神父と呼ばれる。

Deacon(助祭)未確認数:位階は助祭。司祭のサポート役。

 

どうです?

ジャン・ヴァルジャンは キリストの12人の高弟の地位を継ぐ立場の人物から

神はアナタを許している、

神はアナタを信じている、

神はアナタを愛している、

とメッセージを受けたのです。

 

慈悲深い ミリエル爺さん ではなく! てです。

ひょっとしたら私たち 違う作品を観ているのかもしれません。

 

さて今回の ちょっと好奇心。ひとまずここで終了します。