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2013年7 月21日

NO.156-1(メインコラム)経営を概念化する(Ⅰ)

今回のテーマは2回シリーズの第1回目 「経営を概念化する(Ⅰ)」です。

 

経営とは何か?

経営者の方々に 「経営とは一言で云い現わすと 何ですか?」 と尋ねると、

少し怪訝(けげん)な表情を浮かべて、「そりゃアナタ、そんな大きなテーマを一言では言い表せないよ」と言って終わってしまうか、

得意げに自説を30分でも1時間でも話し続けるか、

 

だいたいこの2つのパターンです。

 

経営に限らず どの分野においても 知識の体系は、

「事実&経験」と「概念」と「理論」とが一つにまとめられたフレームワークで成り立っています。

人は、10年、20年、30年と仕事を続ける中で、さまざまな「事実」に遭遇し、その中から「経験」を積み重ね、その際にたくさんの「文献」に当たり、多くの専門家からの「アドバイス」を受け、知識が蓄積されていきます。

そうやって蓄積された知識の中から最大公約数を発見し それをコンパクトに表現したもの、それを概念と言い、そうしたプロセスのことを物事を「概念化する」と言います。

さらにいくつかの諸概念を、相互に関連づけて、意味ある全体像にまとめたものが理論です。

 

「経営とは一言で云い現わすと 何ですか?」という問いは

「アナタは経営を どのように概念化していますか?」という問いと同義です。

 

この問いに対して端的かつクリアカットされた答えが出てこないのは、

その経営者が

①蓄積されてきた「事実認識」が不足しているのか

②経験不足なのか、経験したことが身に付いていないのか

③不勉強で文献(書籍)に当たる(或いは専門家に当たる)ことを怠ってきたか、

④それらの中から最大公約数を発見する作業を怠ってきたのか(或いはそうした問題意識が不足していたか) 

以上のどれかだと考えられます。

 

経営者は、常に「判断」と「決断」が求められます。

その際に、

「経営とは何か?」

概念化されていれば、度胸が付くし、ブレが少なくなります。

概念化されていれば、混沌とした状況をフレームワークの中で整理し、解釈し、判断し、度胸を持って決断出来るのです。

2013年7 月13日

NO.155-1(メインコラム)20世紀少年(PARTⅡ)

今回のテーマは「20世紀少年(PARTⅡ)」です。

 

スティーブン・キング原作の映画「スタンド・バイ・ミー」。

ご覧になった方も多いと思います。

今はもう大人になった主人公が「少年時代に仲間たちと出かけた死体探しの冒険旅行」 を回想する映画です。

そして物語のラストで「少年時代を回想シーン」から「大人となった今」に還ります。

その時の主人公の 「あのころの俺たち、どんな未来を夢見てたんだっけ?」と自問するような“切ない”表情とともに、 あのベン・E・キングが歌う主題歌「スタンド・バイ・ミー」が流れてきます。

「♪♪ 僕のそばにいておくれ ♪♪」・・・・・・・・・。

 

先日、フッとこの映画を思い出し、私も自分のタイムカプセルのふたを開けたくなりました。 

私のその物語は、

1970年3月、中学1年生から2年生になる春休みにタイムスリップします。

『1970年3月の今日、大阪の叔母を頼りって、新幹線に乗り大阪万国博覧会を観に行きました。

千里中央駅から高速道路と並行して走るモノレールに乗り、

いよいよ目的地の万博中央口駅が近づいて来ました。

おおっ~、車窓から高速道路の向こうに広がる 各国のパビリオン会場

そして何とも奇妙な顔をしてそびえ立つ「太陽の塔」が目に飛び込んできました。 

「これが 生の!本物の! 万博会場かぁ~」 

「これが未来の姿なんだぁ~」

興奮のあまり全身鳥肌です!』

 

そして先日 43年振りの「太陽の塔」に再会するため 万博記念公園を訪ねました。

『千里中央駅から高速道路と並行して走るモノレールに乗り、万博記念公園駅が近づいて来ると、 

車窓から高速道路の向こうに広がる 森 森 森

そしてその森の木々真中に一人ぽつんと立つ「太陽の塔」が目に飛び込んできました。』

 

その瞬間 「あの時の“興奮して全身鳥肌が立った”回想シーン」から「大人となった今」に還りました。

「もうオマエには ボケッ~と 明確な目的意識もなく、未来の姿 を追いかけている時間は無いぞ!」

そんな言葉が自分に向けて突き刺さって来ました。

やっぱり 来てみて良かった。

 

 

さて最後に、重松清の著作「トワイライト」を紹介します。

この物語は、 小学校の卒業時、クラス担任の

「タイムカプセルに“思い出の品”を入れて40歳になった時、開けてみよう」

との呼びかけに応じて、

“思い出の品”に「太陽の塔の模型」をタイムカプセルに入れた主人公(男性)と、

当時 家庭の事情で万博に行けなかったクラスメート(女性)の2人が、

大人になって万博記念公園を訪れるというシーンがあります。

重松清は、何十年振りに太陽の塔に再会した主人公に次の台詞を言わせます。

『残骸だ、と思った。ここにあるのは未来の残骸ばかりだ。1970年の少年の目に21世紀の予想図を刻み込んでくれた万博会場は、21世紀のいま、訪れなかった未来を懐かしむための場所になってしまったのかもしれない。』

『だが、いま、太陽の塔はひとりぼっちだった。1970年に太陽の塔を取り囲んでいた未来は、もう消えうせた。「未来の顔」が夕日を浴びて光る。今日の終わりを受け止めて、身じろぎもせず、奇妙な形の未来が、ぽつんとたたずんでいる。』

 

どうでしたか?

20世紀少年。20世紀少年(PARTⅡ)。

あなたの少年の日の物語はどうなりましたか?

2013年7 月 7日

NO.154-1(メインコラム)コンプラ事件の憂鬱(ゆううつ)

今週のテーマは「コンプラ事件の憂鬱(ゆううつ)」です。

 

私は、起業した会社のCEOとプータローしていた期間を除くと、 サラリーマン人生の大半を人事マンとして仕事に携わってきました。

人事の仕事の中でも気分が重く憂鬱な仕事は、コンプライアンス違反した社員を処分する時です。

当人が、自分が最終面接して採用を決めた社員だとなおさらです。

「えっ! お前かよ」と愕然(がくぜん)したこと、一度や二度ではありません。

 

皆さんに始めに申し上げたいことは、

「コンプライアンス事件の当事者に成る可能性は、企業のトップであれ一般社員であれ全ての人にある」と言うことです。

 

人はどんな状況に置かれた時に、コンプライアンス事件を起こすのか?

それは、次の3つの要素が偶然にも(不幸にも)重なった時です。

1つ目は 動機の存在 です。

現在の地位を失うことが恐い、異性を引き付けたい、何としてもお金が欲しい、 などなど

 

2つ目は 「やっても見つからない」という思い込み です。

 

3つ目は 「この程度のことは他の人もやっている」という勘違い です。

 

この3つの要件がそろった時、不幸にしてコンプライアンス事件が発生します。

 

では、何がコンプライアンス事件を引き起こすトリガーになるのか?

実は、ここが人の悲しくて残念なことなのですが、

普段なら「やったら見つかる」と冷静に判断出来るのに、

「動機」が大きく膨らんでしまったことで、 判断力がマヒし「やっても見つからない」と思い込んだ時、トリガーに手が掛かります。

判断力がマヒし「この程度のことは他の人もやっている」と勘違いした時 トリガーが作動します。

 

事件の当人に面会した時、憂鬱になるのは、

事故を引き起こすこの“悲しいメカニズム”ゆえです。

 

山あり谷ありの人生の中、誰でもひょんなことから弾けてしまうことが有ります。

そこから抜け出すために動機が生まれ、

その動機が膨らめば膨らむほど判断力がマヒし、

冷静に考えれば「見つかる危険性が高い」のに「やっても見つからない」という

思い込みの罠(トラップ)に嵌ってしまう。

そして「この程度のことは他の人もやっている」という

勘違いの罠(トラップ)にも掴まります。

 

さて本日の結論です。

社内のコンプラ事件を未然に防止するためには、

常日頃から事あるごとに「絶対に見つかるよ」と言い続けることです。

いろんな動機を抱えた人達を不幸の道に迷いこませないことです。

「絶対に見つかる」んです。

今でなくても いつか 必ず。