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2013年9 月29日

NO.162-1(メインコラム)野良ネコと飼いネコ

今回のテーマは「野良ネコ と 飼いネコ」です。

 

「広辞苑(第6版)」で「野良(のら)ネコ」を引くと、

【野良ネコ】

飼い主のない猫。 野原などに捨てられた猫。 どらねこ』 と出ています。

 

となると 

【飼いネコ】は、

『飼い主のいる猫。 家の中に住んで飼い主から餌をもらえる猫。孝行ねこ』ということでしょうか。

 

私はキャリアの話をする時、「野良ネコ」と「飼いネコ」を人に置き換えて話をします。

【野良人(のらひと)】は、

『餌を捕る術(すべ)を日々実践で磨いている人。 自力で生きていける人』 

 

【飼い人】は、

『主人から餌をもらうことが習慣となった人。 自力で餌を捕る術(すべ)を失った人』

 

高度成長時代は、

「飼い人の平均寿命は70歳、飼い主(会社)の寿命は70年」

「多くの飼い人が その生涯を 飼い人 として全う出来た」 時代でした。

 

ところがどうでしょう、

「飼い人の平均寿命が90歳まで伸び」

「飼い主(会社)の寿命が読めなくなってしまった」今、

働き盛りの飼い人が 突然 『飼い主のない人野原などに捨てられた人どら人

になる時代となりました。

運よく 飼い人を60歳で終えることが出来たとしても、 90歳まで、蓄えを食い潰すだけでは不安です。

 

ではこれからの「飼い人」はどうするか?

答えは、

①次の「飼い主」にかわいがってもらえるため 孝行ひと になる。

②自分で餌を捕る術を磨いて 自力で生きていける人 になる。

 

その①②のどちらかを覚悟を持って選択し、生き残る。 です。

 

②を選択した人は、飼われている内に、自分で餌を捕る術を秘かに磨いておく。 

①を選択した人は、この先 気まぐれな飼い主に放り出されてしまった時に備え、

飼われている内に、夏目漱石の「吾輩は猫である」に登場する野良ネコ“吾輩”

の根性を学ばなくてはなりません。

 

 

野良ネコの“吾輩”は飼いネコになるため、つまみ出されても、つまみ出されても  諦めません。

その“吾輩”の根性を最後に紹介します。

 

【「吾輩は猫である」より】

・・・・・吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家(うち)の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿(やど)なしの小猫がいくら出しても出しても御台所(おだいどころ)へ上あがって来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を撚(ひねり)ながら吾輩の顔をしばらく眺(なが)めておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入(はい)ってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜くやしそうに吾輩を台所へ抛(ほう)り出した。かくして吾輩はついにこの家(うち)を自分の住家(すみか)と極(きめ)る事にしたのである。

2013年9 月15日

NO.161-1(メインコラム)TEDスピーチを超えて

今回のテーマは 「TEDスピーチを超えて」 です。

 

宮沢賢治の「風の又三郎」の冒頭部分をご紹介します。

 

どっどどどどうど どどうど どどう、

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんもふきとばせ  

どっどどどどうど どどうど どどう

谷川の岸に小さな学校がありました。

教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけであとは一年から六年までみんなありました。

運動場もテニスコートのくらいでしたがすぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし運動場の隅にはごぼごぼつめたい水を噴く岩穴もあったのです。 

さわやかな九月一日の朝でした。

青ぞらで風がどうと鳴り 日光は運動場いっぱいでした。

黒い雪袴をはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかに誰も来ていないのを見て「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大悦びで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました

がひとりはとうとう泣き出してしまいました

というわけは そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり一番前の机にちゃんと座っていたのです。

 

以上 冒頭の、風の又三郎が登場する場面です。

 

どうです? まるで自分の目の前の出来事かと、錯覚してしまうような迫力満点の冒頭シーンです。

 

私は 「風の又三郎」の朗読を練習することが、スピーチ上達の一番の方法だと考えていまして、

トーストマスターズ(スピーチを訓練するクラブ)の仲間達に次のアドバイスをしています。

【五感に訴える朗読のポイント】

①自分が自然と、風の又三郎と一体となった感覚を伝える「声色」「テンポ」「「身体の表現」、

②自分が子供と一体となった感覚を伝える「声色」「顔の表情」、

 

これらを「語り」とシンクロさせて、聞き手の五感にいきいきと訴えかけるのです。

すると、聞き手の魂が呼び覚まされ、その聞き手のエネルギーが語り手にフィードバックされ、場に一体感が醸成されます。

その状態を目標に練習して下さい。と。

 

皆さんの中で スピーチの訓練方法を模索している方がいましたら、 是非「風の又三郎」の朗読を試して下さい。

スピーチのテクニックを学ぶ教材として「TEDスピーチ」はお薦めですが、

スピーチの実践を学ぶ教材としては「風の又三郎」が一番です。

2013年9 月 7日

NO.160-1(メインコラム)連続VS非連続

今回のテーマは 「連続VS非連続」です。

 

グーグルが「自動運転車」の開発に本腰を入れて取り組んでいることが明らかになってきました。

グーグルが取り組んでいる「自動運転OS」の開発とその実用化は、

クルマの価値をハードウェアからソフトウェアへと180度シフトさせる可能性を秘めています。

家電メーカーの苦境を横目で見ながら、トヨタを初めとする自動車メーカーが恐れていた、

「危険な侵略者の参入」が現実味を帯びてきました。

 

ご主人様がロボットに指示すれば、この「車輪の付いたロボット」が自動的に目的地まで運んでくれる。

これは移動手段の概念が、「自動車」ではなく「車輪の付いたロボット」へと変わることを意味します。

 

私はこのニュースを聞き、 豊田英二(トヨタ自動車社長:1967年~1982年)が1981年に、

われわれ若手社員を前に次のような訓示をしたことを思い出しました。

『馬車は自動車にとって変わられました。

このことから我々が学ぶべき教訓は、

馬車屋が自動車を発明したのではない。 ということです。

馬車屋は馬車の改造と改善を続けていただけでした。

翻(ひるがえ)って、自動車屋が自動車にとって変わる次の乗り物を発明できる保証はどこにもない。

ということです。

では自動者の次の乗り物はどんな乗り物なのか?

皆さんは笑うかもしれないが、私は孫悟空のキントンではないかと考えているのです。

自分で操作しなくても行きたいところへ自分を運んでくれる。

それが孫悟空のキントンです。 

そのキントンの夢を若い君たちに託したい。と思います。』 と。

 

豊田英二は、

『いまある概念の延長線上で物事を考えるだけでは、連続的価値の向上しか生み出さない。

いまある概念が根底からひっくり変えるような製品は、非連続的な思考の中からしか生まれない。』

という趣旨のことを私たち社員に訴えたのです。

 

ドラッカーは、非連続の概念を 『なぜこれが 今まで 無かったんだろう』 という言葉で表現しましたが、

豊田英二は、ドラッカーよりずっと以前から非連続的な思考の重要性を我々に訴えていました。

その豊田英二は今月12日に100歳を迎えます。