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2013年11 月30日

NO.167-1(メインコラム)藪の中

今回のテーマは「藪の中」です。

 

「藪の中」は、「真相は藪の中」という言葉の語源にもなった、芥川龍之介の短編小説です。

 

山科の藪の中で、ひとりの男の刺殺体が発見される。

その事件を巡って、登場する関係者は三人、

①捕らえられた盗人 多襄丸 

②清水寺に保護されており、懺悔という形で事件を語る被害者の金沢武弘の妻 真砂

③死霊となり、巫女の口を借りて事件を語る被害者の 金沢武弘

 

そしてその三人の証言は、

「多襄丸による他殺」、

「妻による心中未遂」、

「男の自殺」

と食い違う。 

「多襄丸、真砂、金沢武弘 の三人のうち、誰が真実を語っているのか」、それとも

「三人ともに嘘をついているのか」

結局 その真相は明らかにならず「藪の中」、というお話です。

 

この作品の主題の「真相、真実」。

そもそも「真相、真実」とは何か?

その点について

「そもそも真実とは不可知なもので、真実を探ることは無意味である」とする考え方

「芥川の頭の中には真相があったはずで、真実は解き明かせる」とする考え方

など 専門家の間でも 短編が発表された当時 意見が分かれたそうです。

 

そしてこの「藪の中」を映画化したのが黒沢明監督の「羅生門」。

この映画の影響を受け、海外では、 

「同じ事象でも、見る人によって感じ方、捉え方がまったく違ってしまう」という現象のことを、

The Rashomon  effect(羅生門効果)と表現することがあります。

 

2012年に発刊された、「スティーブ・ジョブズ(上下巻)」(ウォルター・アイザックソン著)の冒頭に、

著者ウォルター・アイザックソンは「羅生門効果」と言う表現を使ってスティーブ・ジョブズのことを

次のように記述しています。

『ジョブズに対しては、皆、プラスかマイナスか、とにかく強い感情を抱くため、同じ事実が見る人によって違って見える「羅生門効果」がはっきり出てしまう。とにかく、私としては、矛盾する記憶はなるべく公平に取り扱う とともに、情報源を明確に示すように務め たつもりだ。』 と。

 

「真相、真実」に向き合う姿勢を正に言い当てている、と私 感じ入りました。

どこの仕事場にも、どこの家庭にも それぞれの「羅生門効果」の現象が存在します。

真相、真実を探ることの困難さを重々承知した上で、

矛盾することは、なるべく公平に取り扱う

情報源を明確にし、それを開示する」 

このウォルター・アイザックソンの姿勢は参考になりそうです。

2013年11 月24日

NO.166-1(メインコラム)日本人の矜持

今回のテーマは「日本人の矜持」です。

 

ところで、私 最近 知ったのですが、

現在 普通に使われている「経営」と言う言葉が、仏教用語であったことを。

「経営」の「経」は、布を織るときの縦糸のことで縦に筋がしっかり通っているさまを現し、

「営」は、その縦糸のごとく まっすぐに“人生”を営んでいくさまを現しています。

 

英語の「management」や「administration」や「running」 という言葉の日本語訳に、

「経営」という仏教用語をあてたことに、明治の日本人の“矜持”を感じます。

 

いま世間を騒がせている経営者たち、

 

反社会的勢力との取引を「部下がやったことで自分たちは知らなかった」と言い逃れようとした

メガバンクのトップ。

 

芝エビとバナメイエビ、フレッシュジュースとパック入りジュース、ステーキと脂肪注入の加工肉、 キャビアととびことの取り違いを「違いが分からず誤表示してしまった」と言い張る

一流ホテルのトップ。

 

「部下に全ての責任を押し付ける 神経」

「食材の原価を全て安い方に(高い方への間違いは1つもなく)誤表示してしまったと言い張る 神経」 

柴又の寅さんに言わせれば、

「それを言っちゃあ、おしまいよ」です。

 

こうした組織の歪みを見るにつけ、私の結論は1つです。

それは、

「その組織の、人の評価方法、人の選抜方法 が間違っていた」ということです。

人の評価、人の選抜、を上司の主観に委ねている組織は歪みます。

『同じサラリーマンの上司の主観で評価され重用されてきた人が、 「経営」の志を持った人である確率は低い。』

これは私の経験上の確信です。

上司の主観で評価され重用されてきた人物より、

「お客様、パートナー、同僚、部下たちから 信頼され、感謝され、必要とされている人物が リーダーに推挙される仕組み」を組織に根付かせなくてはなりません。

 

経営」とは何か? 

今その言葉の原点に戻って考え直す必要があります。