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2015年1 月18日

NO.191-1(メインコラム)蕎麦のお話し

私、蕎麦好きが高じ、

全国「蕎麦の食べ歩き」を始めていたころ、

ふっと、あることが気になるようになり出しました。

それは、 これだけ日本人に愛されている蕎麦のこと、 蕎麦好きな文豪もたくさんいたのではないか? 

そして、自身の作品の中の食事シーンに蕎麦を登場させてしまっているのではないか? 

「蕎麦の薀蓄(うんちく)話」を自分に代わって作中人物に語らせているかもしれない? 

 

そこで、さっそく文豪達の作品を調べてみることにしました。

今週は「蕎麦のお話し」として 当時の調査結果を報告します。

 

まずは明治の文豪、夏目漱石の「坊ちゃん」から。

小説を読んだことのない人でも〝親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている〟という書き出しは知っているという『坊っちゃん』は、何度も映画やテレビドラマに登場しているので、ストーリーは誰もがご存じの国民的な物語です。

無鉄砲な新米教師、坊っちゃんが赴任先の四国・松山で繰り広げる珍騒動が楽しいが、トラブルの根本原因は、都会育ちの坊っちゃんと田舎の人たちの考え方や生活リズムのズレにあるようで単純に楽しめます。

坊ちゃんの時代は文明開花の明治です。

近代日本を代表する文化人で進取の気性に富んだ夏目漱石は、田舎のテンポがどうも気にくわなかったらしく、随所に都会との比較や田舎の悪口が出てきます。

そんな中、都会派の坊っちゃんはそばっ食いなんです。

ある日、そば屋を見つけた坊ちゃんは、蕎麦屋に入らないではいられない。

その状況が小説の中で次のように書かれています。

坊ちゃん曰く、

「おれは蕎麦が大好きである。東京におった時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香をかぐと、どうしてものれんがくぐりたくなった。きょうまでは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りできなくなる。」と。

「薬味の香り」とはなかなか通ですね。さらしたネギなのでしょうか?

また坊ちゃんは 「そこで看板の下のほうに「東京」と注が書かれてある店に入り、「ねだん付け」の最初に張りつけられている「天麩羅」を注文した。(中略)久しぶりのそばだったので四杯も平らげてしまった。」と記載されています。

「天麩羅」を注文とは、強烈な好みと通な感じがします。

それにしても四杯を平らげるとは 坊ちゃん(いや夏目漱石)はホントに蕎麦好きなのですね。

 

次に同じく夏目漱石の「吾輩は猫である」を見てみます。

この「吾輩は猫である」に登場する苦沙彌先生は、のんびりしていてそれでいて人生及び世の森羅万象に興味を持ち、訪れる客達と様々に批評する社会風刺がなかなか面白いのです。

また迷い込んだ一匹の猫の吾輩がそれを茶化すスタイルで進行するこの小説は一流のパロディーです。  

その苦沙彌先生のところへ迷亭氏なる客人が訪れ、来る途中で自分の昼飯に“もりそば”をあつらえてきて、主人の前で食する描写があってこれが面白く書かれています。

ご本人いかにも食通ぶって、“そば”はこうして食べるものだと、

① 山葵(わさび)をつゆの中にたっぷりと溶かし込み。

② 汁はたっぷりつけるものではないと、箸を使ってつまみあげる。

③そばは結構長くて持ち上げるまで苦労する。

④三分の一位を汁につけ、鯉の滝登りのごとくズーズーと音を立てて流し込む。

このようにそばの薀蓄を紹介しながら“ざるそば”を平らげる、場面があります。

主人と妻君はホーホーと感心して眺めているだけ。

迷亭氏山葵(わさび)にむせて咳き込んでしまう落ちが面白い。

これって現代においても通じる話で 山葵(ワサビ)を麺に付けるのか? 

汁に溶かすのか?

麺をたっぷり汁につけない、三分の一を付けるのが正統な流儀?

食通ぶった人が蕎麦の薀蓄(うんちく)を語る?

今も昔も変わらないのですね。  

 

次は大正、昭和と活躍した文豪、志賀直哉の「豊年虫」から、  

志賀直哉はあるとき気が向いて汽車で上田まで出向き、人力車に乗ってあちこち見物します。

その途中ふと“そば”が食べたくなって車夫の案内で名代のお店「藪」に入ります。

その時出された“そば”を次のように語っています。

「蕎麦は黒く太く、それが強く縒(よ)った縄のやうにねぢれてゐた。香が高く、味も実にうまかった。私はこれこそ本当の蕎麦だと思った。ただ汁がいかにも田舎臭く、折角の蕎麦を十二分に味付けしてくれなかった。東京の蕎麦好きが汁だけ持って食ひにくるという話は尤もに思われた。・・・私は車夫に蕎麦を誉めると、車夫はよろこんでゐた。」 

志賀直哉は東京の“江戸つゆ”(鰹節と味淋と砂糖のきいた〝つゆ〟が口に合っていたと思われるし、またそば粉の比率の高い地元の“田舎そば”の持つそばの香りと味わいを評価したのでしょうか。

「この田舎そばを東京の汁で食べてみたかった」との思いが伝わってきます。  

 

次に、江戸時代の江戸を書かせたら天下一品の池波正太郎を見てみます。  

池波正太郎は、彼の数々の作品の中に“そば”や“蕎麦屋”が登場してくることからも彼自身のそば好きぶりが知られます。

『真田太平記』を信州上田で執筆するときは地元の「刀屋」(そば店)へよく通ったとか。

食べ方は山葵(ワサビ)をつゆの中に溶かさないで、もりそばに箸でとった山葵をまぶして食べるとうまい、などと自身のグルメ本の中で紹介しています。  

代表作「剣客商売」には、張り込みが蕎麦屋の二階だったり、馴染みの女や、昔世話した家人達が蕎麦屋を営んでおり、“そば”を通して交誼を続けている話など、やたらとそば関連の話が出てきます。

池波正太郎がそば好きだっただけでなく、江戸という時代を語るとき“そば”を抜きには成り立たない、ということだと思います。

 

最後に、私自身が大好きで 研究?している 宮沢賢治を見てみます。

農学校教師時代(堀尾青史の記述に従うならば1923年以降)は菜食主義を止めており、吹張町7-17に店を構える「やぶ屋」のえび天そばが好物で、三ツ矢サイダーとともに注文していたそうです。

当時はよく「ブッシュに行くぞ」と言って、生徒を「やぶ屋」へと連れ出していた(「藪(やぶ)」を英語やドイツ語に訳すと「ブッシュ」)。「やぶ屋」は現存しており(店舗は当時の建物ではない)、同店のホームページに賢治の逸話が掲載されています。

双葉町にあった「嘉司屋」(かじや)の鶏肉南蛮を好んでいて、店の告知で「宮沢賢治さんが愛した柏南蛮」店内メニューで「賢治さんが愛した かしわ南蛮」と書かれているように、鶏肉が入った蕎麦も好んでいたことが紹介されています。

吹張町5-19に店を構える寿司と鰻の店「新ばし」(しんばし)のウナギも好物で、宮沢賢治の親戚にあたる関徳弥の話に「しん橋のウナギを食べたりするときは相好をくずした」という逸話があるそうです。

また、「新ばし」の紹介では「賢治の大好物は花巻の料亭「新ばし」のソバが五銭のころの五十銭の鰻丼で、いつも大ニコニコ顔で、食べていました」とも記されています。

研究者の板谷栄城は、賢治が飲酒や喫煙をしていたこともあるという証言も踏まえた上で、「賢治の名高い菜食主義が生涯を通じてのものではなく、時には平気で肉食をしたことや、すすめられれば盃も手にした」と記し、「賢治を論ずるのに、『一日に玄コメ4合』だの『生涯を通じての菜食主義』だのといった話をもち出す必要はありません」と結論づけています。 これは意外な話ですね。

もっとも、農学校を退職した後の独居自炊時代は菜食主義を研究し、粗食をしていたことが複数の人物によって証言されていて、賢治の伝記研究をおこなった堀尾青史は「菜食主義が体力の回復をはばんだといえるだろう」と、早世した原因の一つが食生活にあったことを指摘しています。

以上、私の「蕎麦レポート」でした。 「お粗末様でした」

 

2015年1 月 2日

NO.190-1(メインコラム)初心

今回のテーマは「初心」です。

 

年の初めに当たり、「初心に帰る」べく、

改めてパソコンに格納されている「自分が作成したメモ類」の中から検索を試みました。

キーワードは直観で「人間」を選択。

結果、検索された100を超える「人間」に関するデータの中から、

「そう、これこれ これだ」と“いま”の自分に刺さったメモがありました。

そのメモの内容は次の通りです。

 

【マイ・メモから】

人間関係の法則について、哲学者は数千年にわたって思索を続けてきた。

そしてその思索のなかから、ただひとつの重要な教訓が生まれてきたのである。

ゾロアスター教はこの教訓を拝火教徒に伝えた。

孔子はそれを説いた。

道教の開祖、老子もそれを弟子たちに教えた。

キリストより五百年早く、釈迦はこれを説いた。

それよりも千年前に、ヒンズー教の経典に、これが説かれている。

それをキリストは次のことばで説いた。

すべて人にせられんと思うことは人にもまたそのごとくせよ

以上

 

この人間関係の法則。

古今東西の智慧者達が 「説いて説いて説き続けてきたほど」

重要なことであろう。

と頭で受けとめる一方、 

古今東西の智慧者達が 「説いて説いて説き続けなければならなかったほど」 

その実践が難しいことであろう。

と心(感情)と体(行動)が受けとめます。

 

さてさて そうは言っても まずは形から と、私、

2015年の初心として お気に入りの マイ・万年筆 で 

2015年の新しい手帖 の1ページ目に

すべて人にせられんと思うことは人にもまたそのごとくせよ

と記入しました。

今年は どんな1年となることやら、夢と期待を膨らませて(苦笑)