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2015年8 月16日

NO.201-1(メインコラム)夢の〇〇

今回のテーマは「夢の〇〇」です。

私は、少年時代 普通の男の子がそうであったように、電車が大好きで、

電車に乗るといつも窓の外の景色に見入っていました。

また休日になると父親に頼んで、電車を見に、 自宅近くの国鉄「鶴舞駅」(名古屋市鶴舞区)

に連れて行ってもらっていました。

駅を貨物列車が通過する時、 当時は列車が貨物輸送を支えていた時代で、連結数が50台60台と長く、

それはそれは勇壮でした。

私は夢中になって連結数を数えるのですが、たいがい途中で混乱して分からなくなっていました。

 

私は、父親の実家が「京都」、母親の実家が「東京」だったため、名古屋に住んでいた当時の

私の友達自慢は、名古屋から母親の実家の東京に行くとき、 名古屋から父親の実家の京都に行くとき、

当時の花形電車 ビジネス特急「こだま号」に乗車できることでした。

ビジネス特急「こだま号」は昭和33年11月に営業を開始し、昭和39年10月に新幹線が開通するまでの間 

超特急 として君臨していました。

私の家族は、この超特急に乗って、名古屋~東京間4時間20分、名古屋~京都間1時間50分

を夏に冬に 往復していました。

当時の時刻表に「こだま号」の開通を宣伝する広告が次のように掲載されています。

【昭和33年11月号 時刻表より】

『11月1日 愈々 待望の、東京~大阪・神戸間 ビジネス特急「こだま号」が誕生します。この特急は 東京~大阪間を6時間50分で快走しますので、両地を朝たって 東京、大阪で用事をすませ、夕方たてば その日のうちに帰ることができます。』

 

そんな 憧れの超特急「こだま号」でしたが、私たち子供の間では、

「もう何年か先に もっと凄い 電車が出来るらしいぜ」「その電車は、夢の超特急 って言うんだぜ」と、

早くも その未来の電車のことで 持ち切りでした。

そう、その未来の電車は、昭和39年10月の開業前まで「夢の超特急」と呼ばれていました。

「夢の超特急」が実現するまで、私は親に

「まだ4年も先だ」「まだ3年もあるの?」「再来年って来年じゃないの?」

「乗れるまで そんなに長く待てない」などと 愚痴っていました。

 

さて、話が長くなってしまいましたが、

私 実は いま あの少年時代の ワクワク感 ゾクゾク感 を超える程の 「夢の〇〇」に携わっています。

その〇〇は、“定年後 本番キャリア!” 

そう、「夢の 定年後 本番キャリア」です。

そして いまの私は 相談者の皆さんから 定年退職が、

「待ち遠しいよぅ~」

「そんなに待てないよぅ~」

と愚痴られる キャリアコンサルタントを目指しています(苦笑)。

そして、少年時代 連結数が50台60台と長くなると数えられなかった私の いまの目標は 

100歳まで生きることに変わりました(笑)。