活力循環とは?

2015年9 月 6日

NO.202-1(メインコラム)それでも人生にイエスと言う

今回のテーマは「それでも人生にイエスと言う」です。

皆さんご存じの、 精神医学者フランクルの名著のタイトルです。

ドイツ語の原文のタイトルは「rotzdem Ja zum Leben sagen.」

英訳のタイトルは「Still say yes to life.」 です。

 

それでも YES」なのですから、

普段の ちょっと滅入った、ちょっと上手くいかない、などは 「当然 YES」なのです。

私は 日常的に起こる この「ちょっと」を一瞬でオールクリアー(AC)するため、

電卓のACボタンを押す感覚で「YES」と呟いています(苦笑)

 

しかし 人生の重大なそれでもの局面において、この「YES」の答えを出すこと、

生身には なかなか難しい。

その難しさ、フランクル派(苦笑)を自称する私の「YES歴」を振り返ってみます。

 

突然 脳梗塞に・・・・

ベッドの中で、ためしに唱えた 「YES」

 

突然 家族との別れが・・・・

唱えるのを止めた 「YES」

 

信じていた人に裏切られ・・・・

何度も呟いた 「YES」

 

追い求めた“坂の上の雲”が目の前から消えた・・・・

当分の間 言わないことに決めた 「YES」 

 

親が死んだ・・・・

報恩の機会を失った自分に 「NO」

 

重要なそれでもの局面で 必ずしもスムーズに「YES」と答えられなかった我が半生ではありましたが、

それでも言いたいと思っている「YES」が今あります。

それは 人生の最後の瞬間に言う 「YES」 です。

「あぁあ 楽しかった」って長い台詞に替えて。

 

そして今、「人生の最後の問い」にこの答えを出すため、

60歳からの「人生本番プロジェクト」をスタートしました。

 

最後に、私が一番影響を受けたフランクの「言葉」を著書の中からご紹介します。

 

『私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。

つまり、私たちは、生きる意味を問うてはらなないのです。

人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのです。

私たちは問われている存在なのです。

私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、

「人生の問い」に答えなければならない、

答を出さなければならない存在なのです。』

2015年8 月16日

NO.201-1(メインコラム)夢の〇〇

今回のテーマは「夢の〇〇」です。

私は、少年時代 普通の男の子がそうであったように、電車が大好きで、

電車に乗るといつも窓の外の景色に見入っていました。

また休日になると父親に頼んで、電車を見に、 自宅近くの国鉄「鶴舞駅」(名古屋市鶴舞区)

に連れて行ってもらっていました。

駅を貨物列車が通過する時、 当時は列車が貨物輸送を支えていた時代で、連結数が50台60台と長く、

それはそれは勇壮でした。

私は夢中になって連結数を数えるのですが、たいがい途中で混乱して分からなくなっていました。

 

私は、父親の実家が「京都」、母親の実家が「東京」だったため、名古屋に住んでいた当時の

私の友達自慢は、名古屋から母親の実家の東京に行くとき、 名古屋から父親の実家の京都に行くとき、

当時の花形電車 ビジネス特急「こだま号」に乗車できることでした。

ビジネス特急「こだま号」は昭和33年11月に営業を開始し、昭和39年10月に新幹線が開通するまでの間 

超特急 として君臨していました。

私の家族は、この超特急に乗って、名古屋~東京間4時間20分、名古屋~京都間1時間50分

を夏に冬に 往復していました。

当時の時刻表に「こだま号」の開通を宣伝する広告が次のように掲載されています。

【昭和33年11月号 時刻表より】

『11月1日 愈々 待望の、東京~大阪・神戸間 ビジネス特急「こだま号」が誕生します。この特急は 東京~大阪間を6時間50分で快走しますので、両地を朝たって 東京、大阪で用事をすませ、夕方たてば その日のうちに帰ることができます。』

 

そんな 憧れの超特急「こだま号」でしたが、私たち子供の間では、

「もう何年か先に もっと凄い 電車が出来るらしいぜ」「その電車は、夢の超特急 って言うんだぜ」と、

早くも その未来の電車のことで 持ち切りでした。

そう、その未来の電車は、昭和39年10月の開業前まで「夢の超特急」と呼ばれていました。

「夢の超特急」が実現するまで、私は親に

「まだ4年も先だ」「まだ3年もあるの?」「再来年って来年じゃないの?」

「乗れるまで そんなに長く待てない」などと 愚痴っていました。

 

さて、話が長くなってしまいましたが、

私 実は いま あの少年時代の ワクワク感 ゾクゾク感 を超える程の 「夢の〇〇」に携わっています。

その〇〇は、“定年後 本番キャリア!” 

そう、「夢の 定年後 本番キャリア」です。

そして いまの私は 相談者の皆さんから 定年退職が、

「待ち遠しいよぅ~」

「そんなに待てないよぅ~」

と愚痴られる キャリアコンサルタントを目指しています(苦笑)。

そして、少年時代 連結数が50台60台と長くなると数えられなかった私の いまの目標は 

100歳まで生きることに変わりました(笑)。

2015年7 月24日

NO.200-1(メインコラム)「たった2500億円」という視点

今回のテーマは 「たった2500億円」という視点 です。

 

歴史に名を残した文豪たちが 生前 出版社から受け取った「断り状」を紹介する

『まことに残念ですが・・・不朽の名作への「不採用通知」160選』という興味深い本があります。

 

その「断り状」の一部を紹介しますと、

「まことに残念ですが、アメリカの読者は中国のことなど一切興味がありません」

(パール・バックの「大地」に対して)

 

「ご自身のためにも、これを発表するのはおやめなさい」

(D・H・ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」に対して)  

などなど。

 

どうでしょうか? この身も蓋もない「断り状」。

「その時代を支配する 『価値観』や『常識』、 『雰囲気』や『ムード』、 『マスコミに誘導された世論』

などに惑わされることなく、自らの基準に従って判断を下す」。

言うは易く 行うは難し ですよね。

 

では どうでしょうか? 今回の新国立競技場建設の騒ぎ。 

・珍しくマスコミ各社が歩調を揃え(安保関連法案で揃わなかった歩調が)「税金の無駄遣い」と一斉に書きたてる。

・そのマスコミの論調に乗って世論が盛り上がる。

・この予想外の世論の盛り上がりを受け、安倍総理は前言をひるがえし「白紙」を発表。 

・その計画見直しを受け、森元総理が「国がたった2500億円出せなかったのかね」と発言。

・この森元総理の発言をマスコミ各社が一斉に書きたてる。

・その記事を受け、「森は一体何様なんだ?」と世論が盛り上がる。

 

さてさて、ここから先は、もしも もしも の“胡蝶の夢”のお話しです(笑) 

(その1)

東京オリンピックの次、2024年オリンピック開催国が建設した新国立競技場はなんと高額の「キールアーチ」を採用し、その出来栄えに「21世紀最大の芸術的建造物」との評価を受けることになった。すると日本のマスコミ各社は一斉に「あの時 誰のせいで たった2500億円の予算を削ってしまったのだ!」と一斉に書きたて、その論調に乗って世論が盛り上がる。

 

(その2)

2024年、日本は国の借金が1500兆円を超え、財政破綻に追い込まれることになった。すると日本のマスコ各社は一斉に「あの時 たった2500億円の予算を削るの削らないのと大騒ぎしている間にも、この国は破綻に向かって坂を転がり落ちていた。こうした事態を放置し続けてきた政治家と官僚の責任はあまりにも大きい!」と一斉に書きたて、その論調に乗って世論が盛り上がる。

 

さて、私、あなた、私たち、にとって 

たった2500億円」のイシュー(Issue)は何か?

改めて考える必要がありそうですね。

未来の「パール・バック」や「D・H・ロレンス」を見落とすことがないように!

2015年5 月31日

NO.199-1(メインコラム)無名

今回のテーマは「無名」です。

 

美術館で心惹かれる絵画や彫刻に出会った時、

本の中で紹介されたメッセージや歌や詩に感動を受けた時、

さて作者は誰かと確認すると、「作者不詳」「作者不明」とか「詠み人知らず」 との記載が。

こんな経験 ありませんか? 

 

私も 先日 渋谷 松濤美術館の「いぬ・犬・イヌ展」に行った時もそうした経験をしました。

特に江戸時代、江戸時代以前の作品の中で

「よくもこれだけ犬の表情を上手く(或いは精緻に)表現できたものだ」をと感心し

作者を確認すると「作者不詳」との表示。

 

頭の中をぐるぐると・・・・・・・・妄想が、

名もない庶民が作ったから 名前が不明なのか

作者に匿名にしなくてはならない理由があったのか

長い歳月の中で誰かの意図により名前を消されたのか

作者は「有名になりたがる人」を横目にニヤニヤしていたのか

 

しかし・・・・・・・・ それにしても、

作者不明にもかかわらず、何十年 何百年と市井の人々の間で語り継がれ 聞き継がれ 

我々の時代まで辿り着いた このエネルギーの凄さよ!!

 

次の文章は、 先日 知合いに教えてもらったものです。

世界中のたくさんの人々の間で 長い間 語り継がれ 聞き継がれ

今も この文章を「自分の手帳に書き留めている」人が沢山いるそうです。

 

「神様の配慮」

大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神様に求めた。

だが、謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。

 

より偉大なことができるようにと、健康を求めた。

だが、より良きことができるようにと、病弱を与えられた。

 

幸せになりたいと、富を求めた。

だが、賢明であるようにと、貧困を授かった。

 

世の人々の賞賛を得ようと、成功を求めた。

だが、得意にならぬようにと、失敗を与えられた。

 

人生を楽しみたいと、あらゆるものを求めた。

だが、あらゆることを喜べるようにと、質素な生活を与えられた。

 

求めたものは、何一つ与えられなかった。

だが、「人生の意味を味わいたい」「悔いのない生き方をしたい」 という私の願いは、

すべて聞き届けられていた。

 

私は、今、気が付いた。

私の人生は、あらゆる人の中で、もっとも豊かに、祝福されていたのだ。                         

                                         (作者不詳)

2015年5 月10日

NO.198-1(メインコラム)学習(learing)

今回のテーマは「学習(learing)」です。

 

キャリアの分野において、代表的な理論の1つに「社会学習理論」があります。

「社会学習理論」とは、

「人は生涯 学習し続ける存在であり、キャリアは生涯にわたる学習によって形成される」

という考え方で、この理論のキーワードは「学習(learing)」です。

私は、この理論で言うところの「学習(learing)」を、生涯実践した人物として「徳川家康」に

注目し続けてきました。

 

徳川家康(以下「彼」と言う)の人物像を表す代表的な言葉に、

「鳴くまで待とうホトトギス」があります。

この言葉が示すように、彼は「忍耐の人」というイメージが強いのですが、

彼ゆかりの地を訪れ地元の資料を調べてみると、

実は彼、たいへん短気で感情的で神経質な性格であったことが分かります。

特に若いころは、窮地に陥ると一時の感情から「討死する」「切腹する」と言い出し、

部下に諌められたことが行く度かあったようです。

 

しかし彼の凄いところは、自分のこうした性格的な弱さ、短所を自ら認識したうえで、

それを「学習(learing)」を通して克服する努力を生涯続けたところにあります。

そう彼は、「学習する人」だったのです。

 

その証拠に、彼は、自分が「学習する人」であることを一時でも忘れることがないよう、

武田信玄に三方ヶ原で敗戦し、逃げ帰った時の自分の「しがみ顏」の姿(31歳の時の)を 絵師に描かせ、

その絵を「十分な熟慮準備なく一時の感情と慢心で行動した結果の自戒」として

生涯座右から離さなかったのです。

 

彼(以下「アナタ」と言う)の命で行われた「関ヶ原の戦い」勝利後の2つの大プロジェクト、

アナタの本城がある江戸から朝廷の京、豊臣家居城の大阪までの間の軍用道路「東海道の整備」

西方大名に対する守りを固めるため清洲から名古屋への遷都「名古屋城築城+清洲越し」

アナタは、この2大プロジェット終了後に、豊臣家に戦いを仕掛け、豊臣家を殲滅させるつもりだったとは、

僕は後で知ったよ。

 

僕はアナタの意図を身体で感じようと思い立ち、今回のゴールデンウィークを利用して、

東海道の要「桑名宿」と関東の巨鎮と言われた大都市「清洲」に行ってきたよ。

「桑名」と「清洲」の地に立って僕は改めて思ったよ。

アナタは凄いね。

アナタは「中途半端は身を滅ぼす」ということもいつの間にか「学習(learing)」していたんだね。

アナタは凄いね。

アナタは、待っていたのではなくて、熟慮を重ねつつ、着々と準備を進めていたんだね。