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2013年4 月 6日

NO.144-1(メインコラム)ちょっと好奇心

今週のテーマは「ちょっと好奇心」です。

 

先日 吉祥寺の映画館で「※レ・ミゼラブル」を観て来ました。

※ヴィクトル ユーゴー原作

ここで有名な前半のハイライトシーン「銀の燭台の場面」を振り返ってみます。

 

飢えた家族のためにパン一切れを盗んだ罪で19年の刑に処され服役させられた主人公のジャン・ヴァルジャン。

その彼が19年の服役を経て仮釈放されるが 元服役者というレッテルを張られ 行く先々で冷遇され、寒空の下 ついに行き場を失う。

そんな彼を、ミリエル司教は教会に迎え入れる。

しかし、その夜、ジャン・ヴァルジャンは教会の銀の食器を盗み、逃亡してしまう。

翌朝、彼を捕らえ教会に連行した憲兵を前にしたミリエル司教は、ジャン・ヴァルジャンに向かってこう言います。

ああ、よくきなすった!私はあなたに会えて嬉しい。ところでどうしなすった、私は昨晩あなたに燭台もあげたのだが。あれもやっぱり銀で、二百フランくらいにはなるでしょう。なぜあれも食器といっしょに持って行きなさらなかったかな?

と言いながら“銀の燭台”をジャン・ヴァルジャンに差し出ます。

彼を放免した憲兵達が帰った後、2人きりになったミリエル司教は彼に近づき低い声でこう言います。

忘れてはいけません。決して忘れてはいけませんぞ、この“銀の食器”と“銀の燭台”は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことを」  

 

どうです?

こんなことされたらジャン・ヴァルジャンでなくとも驚いて言葉が出ません。

人を許すとはこういうことなのか。

人を信じるとは、人を愛するとはこういうこういうことなのか。と

誰もがこの“忘れかけていた真理”に心打たれます。(私も映画のこのシーンで涙が溢れました)

 

さてここから本題です。

 

このセリフを司教という立場の人物に語らせた原作者ヴィクトル ユーゴーの意図は何だったのか?

国民の90%以上がカトリック信者だった当時のフランス国民がこのセリフから受けたメッセージは何だったのか?

 

ちょっと好奇心が湧き起こり、 司教という職位の教会におけるヒエラルキーと役割を調べてみました。

 

Pope(教皇)1名 :位階は司教。枢機卿会で教皇を選ぶ(コンクラーベ)。神の代理人。

Cardinals(枢機卿)95名 :位階は司教。司教の叙階を受けた者から教皇が選ぶ。枢機卿会を構成。

Archbishops(大司教)718名:位階は司教。教区規模により行政上定められた職掌で位階ではない。

Bishops(司教)2739名:位階は司教。神の制定に基づき付与された聖霊によって※使徒の座を継ぐ者(教会法)。※使徒とはイエス・キリストの12人の高弟

Priest(司祭)41万人:位階は司祭。神父と呼ばれる。

Deacon(助祭)未確認数:位階は助祭。司祭のサポート役。

 

どうです?

ジャン・ヴァルジャンは キリストの12人の高弟の地位を継ぐ立場の人物から

神はアナタを許している、

神はアナタを信じている、

神はアナタを愛している、

とメッセージを受けたのです。

 

慈悲深い ミリエル爺さん ではなく! てです。

ひょっとしたら私たち 違う作品を観ているのかもしれません。

 

さて今回の ちょっと好奇心。ひとまずここで終了します。

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