NO.217-1(メインコラム)
青雲の志
今回のテーマは「青雲の志」です。
14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まったルネッサンスは、大富豪のメディチ家が、
彫刻家から科学者、詩人、哲学者、画家、建築家まで「青雲の志」を持った異分野の多彩な人材を
フィレンツェに呼び集めたことで化学融合が起こり開花したと言われています。
著述家のフランス・ヨハンソンはこの爆発的な開花現象のことを「メディチ・エフェクト」
と名づけました。
さて現代の日本では先日、文部科学省が東京の一極集中を緩和するために、東京23区内の
私立大学・短大の定員を抑制する旨を告示しました。具体的には、2018年度は定員増を、
2019年度は大学・短大の新設を原則として認めないとの内容です。
明治以降日本は、「東京の活力」が「地方の活力」を生み、それがまた東京に跳ね返って
「東京の活力」が再生産されるというプラスの循環を重ね発展してきました。
そしてそのプラスの循環を生み出だす装置の役割を果たしてきたのが「青雲の志」を持った全国の青年を
集めてきた東京の大学です。
まさに「大学・エフェクト」です。
日本全国から「青雲の志」を抱いて上京した青年達は、互いに結びつき刺激し合い
卒業後は、
①東京で立身出世して故郷へ錦を飾ることを夢見る者がいて、
②東京で得た知識と経験と人脈を故郷で活かして活躍することを夢見る者がいて、
この2つのバランスが取れてプラスの循環が働いていたのです。
ところが近年、「地方出身の大学生の過半数はUターンを希望しているものの、
故郷に仕事の受け皿がなく、結局その過半数はUターン出来ない」という問題が
起こっています。
そのため東京と地方との間のプラスの循環バランスは崩れつつあります。
江戸時代に「入り鉄砲に出女」という言葉がありましたが今回、
東京にいる中央官僚はその解決策として「入り青年」を規制することにしました。
他の解決策は無いのでしょうか? 考えてみましょう。
①案:規制して「入り青年」の数を規制する(←今回の案)。
②案:地方交付金、助成金をバラまいて「出青年」の数を増やす。
③案:神の見えざる手に任せる。
最後に官僚が一番嫌がる案
④案:中央官庁が地方に出る→官庁寄生型企業が地方に出る→地方に受け皿が出来る。
東京にいる中央官僚が考えた出した策は①案でした。
私は④案を支持します。
青年達の「青雲の志」を人為的に制限する策にはどうしても同意できません。
皆さんはどう考えますか?
さて夏目漱石の小説に、「青雲の志」を抱いた主人公の三四郎が大学入学のため
熊本から東京に上京することで物語がスタートする「三四郎」という作品があります。
故郷の熊本から東京に向かう車中で同席した男性と三四郎との会話を
最後にご紹介します。
主人公 三四郎のちょっと斜に構えた「青雲の志」が伝わってきます。
『「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。
―― 熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。
三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。
だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄(ぐろう)するのではなかろうかとも考えた。
男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉(ことば)つきはどこまでもおちついている。
どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。
すると男が、こう言った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、
三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。
「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひいき)の引き倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。
同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯(ひきょう)であったと悟った。
その晩三四郎は東京に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。
三四郎は東京へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。』
以 上
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